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元阪神 金本知憲 独占インタビュー120分 vol.2

[週刊大衆2月25日号]

――カープも、「まさか」だったわけですね。

金本 ですね(笑)。でも、ホントの「まさか」は、入団してから。最初から、プロでは通用しないだろうなというのが半分と、ちょっとでも活躍できたら、それでOKだろうと思っていたんだけど、いざ入団してみたら、箸にも棒にもかからなくて。「まさか」の地獄が待っていました。

――どうやってその地獄から這い上がったんですか。

金本 練習しかないですね。いつクビになるかと思いながら、明日のため、3カ月後のため、3年後のため……練習を毎日繰り返す。
スイングスピードとか、振る力とかはすぐにはつかないですからね。それをやったからといって、本当に力がつくのかどうかは誰にもわからないけど、自分を信じて練習していました。

――プロとしてやっていけると自信を持ったのは、いつ頃ですか。

金本 3年目……ですかね。ホームランを17本打って、あー、これで、あと2~3年はやれるかなと。

――えっ、それでも2~3年ですか?

金本 確固たる自信を持てたのは、32か33歳くらいですね。それまでは、いつ自分が駄目になるかと思っていましたから。レギュラーで出ていても、ずっと怖くて。常に、2~3年先を見て練習をしていました。

――連続フルイニング出場の記録が始まったのが、1999年の7月21日(31歳)からで、3割、30本、30盗塁というトリプルスリーの達成と、連続無併殺の記録が始まったのがその翌年、32歳のときでした。

金本 自分でいうのもアレだけど(笑)、4番で記録を達成できたのは、プラスアルファーの重みがありますよね。ただ、連続無併殺は……チームプレーに徹して、全力疾走するというのは、カープでは当たり前のこと。褒めてもらえることじゃない。だから、全力で走らない奴を見ると、無性に腹が立つんです。

――その記録が途切れたときは?

金本 まぁ、こんなもんだろうと(笑)。いつかは途切れるものだし、次も、その次も、全力疾走するのは変わらないわけですから。
記録のために走るんじゃなくて、チームのために走っていましたからね。

――広島での11年間で心残りはありますか。

金本 正直、優勝したかったなと思いますね。それも、2回。三村(敏之)さんと(山本)浩二さんを胴上げしたかった。

――阪神では、その優勝を経験されました。

金本 実際、自分が優勝するまでは、ビールかけを見て、「バカが、何、子供みたいなことやってんだ」と思っていたんですけど。いざ、自分がその立場になったら、もっとハシャイでいました(笑)。

――二度目のリーグ制覇のときは、金本さんがウイニングボールを取りました。

金本 キャッチャーとファーストの確率が高いんですけどね。センターの赤星には、「左中間に来たら、どかすぞ」っていっていたんだけど、本当に「まさか」の自分で(笑)。

――浜風に立ち向かう覚悟で、阪神にFA移籍した甲斐がありましたね。

金本 年間でホームランの数が15~16本は違いますからね。清原さんに移籍を報告したときも、「おぅ、浜風に立ち向かうんか、男やねぇ」と(笑)。
だからこそ、一度はホームラン王を獲りたかったんですけどね。それも心残りのひとつです。

2月20日公開のvol.3に続く・・・。

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