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元阪神 金本知憲 独占インタビュー120分 vol.1

広島で11年、阪神で10年。プロ生活21年で残した成績は、2539安打(歴代7位)。1521打点(歴代8位)。476本塁打(歴代10位)。

連続フルイニング出場の世界記録を持つ金本知憲氏の野球人生は、輝かしいものだ。しかし、金本氏自身の口から飛び出した野球人生は、文字どおリ、「まさか」の連続だった。

1968年4月3日、4人兄弟の末っ子として広島で生まれ育った金本少年が野球を始めたのは、小学校4年のとき。地元のリトルリーグに入団し、泥まみれになりながら、ひたすら白球を追い続けた。

もちろん、将来の夢はプロ野球選手……のはずだったが、ここで早くも、最初の「まさか」がやって来る。

※※
金本 練習がキツくてね、もう、嫌で嫌でしょうがなかったんですよ。だから、あまり偉そうなことはいえない(笑)。クラブ辞めたときも、"よっしゃー"という感じで。これで、釣りに行けると。実際、釣りばかりしてましたからね(笑)。

――そんな金本さんが、野球に戻られたきっかけは?

金本 誘ってもらったからです、ソフトボールの監督に。で、中学のときは軟式野球をやって。将来、野球で飯を食っていこうと思ったのは、この頃です。

――大きな転機ですね。

金本 というか、監督に、「将来、この子はあるぞ」みたいなことをいわれて。
マジか!? と(笑)。オレ、そんな人間なのって、勝手に信じていました。
そこからですよ、練習でも、"こんなんじゃプロになれない"の繰り返し。試合で打っても、もっともっと、という強い気持ちがずっとあって。ひたすら練習してましたね。

――自分で自分にプレッシャーをかけていた?

金本 いや、かけたんじゃなくて、自然に、かかってました。プロを目指していたわけですから。自信なんて、まるでないんですけどね。半分は無理だろうと思っていましたから。
でも、いま考えると、それが逆によかったのかなと思います。当時、ゼッタイの自信を持っていたら、それが過信になって、プロにはなれなかったかもしれないですからね。

――高校は広島の広陵高校でした。

金本 そこが、第2の「まさか」で(笑)。自分としては広島商業に行きたかったんですよ。頭の中では広島商業に行って、甲子園に出て、大活躍してプロになると、夢が一直線に出来上がっていましたからね。
ところが、この年から始まったマークシート式の受験を面白半分で受けたのが間違いの元で……。広商を諦めてくれれば合格にします……みたいなことをいわれたんですよ。

――心が揺れますよね。

金本 僕自身は、ふざけるなって思ったんですが、万が一、広商に落ちたら浪人ですからね。最後は、高校浪人させるわけにはいかないという親と担任の説得に折れて。「まさか」の広陵進学でしたね。

――大学は、一浪して東北福祉大に進みました。

金本 「まさか」の3連発(笑)でした。なにせ広島の田舎者なんで、東京の大学に憧れがあって(笑)。法政大学のセレクションを受ける準備を進めていたんです。ところが!

――今度はどんなことが?

金本 12月だという広陵高校の監督の言葉を信じていたら、8月には終わっていて。なんじゃと。で、一浪して次の年に中央大学のセレクションを受けたんだけど、ここでもまた監督に騙されて……。

――何が起きたんですか!?

金本 中央大学の監督からは、浪人は推薦がないと聞かされてたんですけど、広陵の監督は大丈夫だと。二度も騙された僕もバカなんですけどね(笑)。目の前が真っ暗になりましたよ。

――そんなことって、あるんですか?

金本 あるんですよ(笑)。

――すんなり東北福祉大に決まったのかと思っていました。

金本 失礼な話だけど、東北福祉大って聞いて、最初はどこの県にあるのかも知らなかったですからね。雪のイメージしかなくて。そんな環境で練習するのは無理でしょうと。ぶっちゃけ、広島に彼女もいたし(笑)。

――それは、悩みますね。

金本 結果的には、東北福祉大に行ったから、いまの自分があるんですが、最初はイヤイヤでしたね。高校も、大学も、カープも。

――広島入団も、ですか?

金本 カープが嫌いとかじゃなくて、地元で恥をかきたくなかったんですよ。エラーしたり、チャンスで三振したらカッコ悪いじゃないですか。できれば、育成が上手な印象があったヤクルトか中日がいいなぁと。

2月19日公開のvol.2に続く・・・。

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