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星稜高校、巨人ヤンキース!? 松井秀喜「監督力」大研究 vol.2

[週刊大衆1月28日号]

02年に海を渡った松井は、世界的名門ヤンキースに入団する。そこで待っていたのが、ワールドシリーズを3連覇した名将トーリ監督だった。
「トーリ監督ほど自分をコントロールできている人物はいない。心を乱している場面を見たことがない。常に温かく接してくれたが、決して選手を甘やかすわけではなかった」と、松井はトーリ監督について振り返っている。

一度、松井のレフトからの緩慢な返球の隙をつかれて、三塁走者にタッチアップされたことがあった。ベンチに戻った松井に彼は、「ヒデキ、あれはどういうことだ。説明しろ」と強い口調で迫ったという。

時に厳しく、時に温かく――人を率いる真髄を、松井はトーリ監督から学んだのだ。

トーリ氏も松井を絶賛。引退に際しては、「スターとしてヤンキースに来て、すぐに人気者になった。才能だけでなく、毎試合、チームのためにプレーしたからだ。彼の監督だったことを誇りに思う」とコメントした。

この「チームのため」という松井の姿勢が、野球の本質であることに異論はないだろう。常にチームの勝利を最優先に考えてきた松井が、"将の器"をそなえていることに疑いはない。

また、松井には指揮官に不可欠な別な資質もある。前出のベテランジャーナリストが語る。
「頑固さですよ。新人1年目のキャンプで松井は、あの大打者・張本勲さんからの"右足を上げずに打て"という助言を拒否。信念を曲げませんでした。"人に何かをいわれて自分の考えを変えたくない"という発言からもわかるとおり、周囲に惑わされないんです」(スポーツ紙デスク)

自分がやりたい、と思うことが簡単に変わっては、決して成功しないのだ。松井は、02年にメジャーへの移籍を表明した直後、「いつか日本野球のために自分の経験を役立てたいと思っている」と漏らした。

巨人、ヤンキースでスーパースターとして君臨した経験、また、左手首、右ヒザ、左ヒザと故障に泣かされ、出場もままならなかった苦難の日々。そうした20年間のすべてが、指導者としての松井の大きな糧となるだろう。

日米通算507本塁打、通算打率2割9分3厘という記録を残した偉大な彼が、名監督としてチームを率いる姿が見られる日は、そう遠くないはずだ。

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