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長嶋、王、野村「スーパースターの麻雀」仰天勝負術 vol.1

長嶋茂雄、王貞治、野村克也――同時代を生き抜いた3人の野球人は、それぞれが球史に残る名選手であり、その後、監督としても成功を収めている。
かつて、名将・三原脩は「麻雀は推理の勝負としては最高です。下手な者は、監督のほうも、もうひとつ……」と公言していたといわれる。大局観や勝負勘を養う嗜みとして、麻雀は最適。打ち筋を見れば、勝負師としての力量を推し量ることができるのだ。

そこで、3人の現役時代の雀風を比較して、彼らが何故に「名選手かつ名監督」になることができたのかを探ってみよう。
まず、いまさらながらではあるが、現役バリバリの頃の3人の活躍ぶりについて、少し触れておこう。

長嶋茂雄は、いわずと知れた日本球界を代表するスーパースター。昭和30~40年代に巨人の中心選手として活躍。勝負強さと、ダイナミックなプレー、明るい性格で、日本中の野球ファンを魅了した。

王貞治は、長嶋とともに「ON砲」の一翼を担ったホームランバッター。彼の打った通算868本塁打の世界記録は、いまも燦然と輝いている。

野村克也は、ONの全盛期に南海ホークスの捕手、4番打者として活躍。パ・リーグ三冠王に輝いたが、当時は不人気リーグゆえに注目度は低く、常に日の当たる道を歩く長嶋、王にライバル心を抱いていた。

彼らが現役選手だった時代、野球選手の娯楽といえば、酒か麻雀というのが相場。ほとんどの選手が麻雀を嗜んでいた。彼らが主に卓を囲むのは、旅先での試合前後だったという。
「ビジターの練習は早朝5時から始まります。遅い朝食をとると、その後、試合開始まで、特にやることがない。そこで、ゴロ寝か麻雀ということになります。また、試合後も夜食をとったあと、すぐ寝るわけにもいかないので"おい、一丁いこう"ということになるんです」(ベテラン記者)

ルールはチームによって若干異なるが、東風が基本。食いタン、先づけなし、一索が常にドラで、一発・裏ドラあり。2万5000点持ちの3万点返しでノーテン親流れ。2時間もあれば、5~6局は可能だ。

さて、3人の雀風は、どんなものだったのか。まずは長嶋茂雄。
「長嶋さんは、麻雀好きの連中に、いつも呼ばれていましたね。卓を囲もうとするメンバーは、しょっちゅう"お~い、長嶋はいるかぁ"と探し回っていましたよ」(前同)

その打ち筋は、日本プロ麻雀連盟の灘麻太郎氏によれば、「混一色(ホンイーソウ)なら混一色、三色(サンショク)なら三色、こうと決めたらひと筋。プラスでいようとマイナスであろうと、他家からリーチがかかろうと、自分の手作りに前進するというタイプ」だという。

実は、74年の日米野球の直前、金田正一が音頭を取って、長嶋、野村、杉浦忠(元南海)、金田というメンバーで麻雀を打ったことがある。そのときの印象を野村は後に、次のように語っている。
「私も強いほうじゃないんですが、長嶋監督の人柄か、私以上に強いとは感じなかった。しかもマイペース。麻雀に関しても、野生のカンを大切にする人だと思いましたね」

やんわりと「長嶋は麻雀に弱い」といっているわけだが、金田の証言はさらに辛口だ。
「長嶋は役牌どころか麻雀のルールそのものを知らなかったんじゃないか。もちろん牌を並べたり、そつなく配牌をこなす。しかも楽しそうに打っておった。だがワシは一度も長嶋が上がったのを見たことがない」

前出の灘氏が記録していた、長嶋の牌譜から、彼の打ち筋を確認してみよう。

東場3局、西家、長嶋10巡目の手。3000点マイナスの2着目、ドラ八萬。

1筒・1筒・1筒・4筒・5筒・5筒・9筒・9筒・9筒・中・中・九萬・九萬

ここに南家からリーチ。
その捨て牌は、

北・南・1索・2筒・7索・2索・4索・東・3索・北・二萬

同巡、長嶋ツモ3筒。

5筒切りなら、ツモリ三暗刻の追っかけリーチがかかるが、実戦での長嶋、九萬に手をかけ、これが当たりで満貫。リーチに関係なく打ち続ける雀風は、お大尽そのもの。
「そうか、そうか、これが当たりか。なかなか、やるなあ」と、平然と点棒を出したという。

打っていて楽しい。よく負ける。カネ払いがいい。それが長嶋麻雀の特徴だ。

11月08日公開のvol.2に続く・・・。

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