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絶望を希望に変えた 三陸鉄道の奇跡「知られざる感動秘話」 vol.02

[週刊大衆03月24日号]

南リアス線は247カ所の被害が発生して壊滅状態。
70カ所の被害にとどまった北リアス線でも、高架上にあった島越駅の駅舎が津波に呑み込まれ、その付近の線路どころか、橋も橋脚ごと流されてしまったからだ。

この島越駅付近の光景は『あまちゃん』の震災当日のシーンにも描かれた。
トンネル内で非常停車した列車から歩いて、津波に襲われた外の光景を眺めた大吉が、後ろから来るユイ(橋本愛)を「見るな!」と制止するシーンだ。
しかし、ユイは「ゴメン、もう遅い」と、あまりに絶望的な光景に声を失う。
ユイの心に深く刻み込まれた光景として使われたのが、被災直後の島越駅付近の映像だった。

もちろん、これだけの被害を回復するには莫大な資金が必要となる。
「復旧費用は合計108億円という巨額なものになりました」(望月社長)

それにもかかわらず、わずか3年で完全復旧できたのには、理由がある。
その一つは、自衛隊の奮闘だ。
「沿線の市町村が公費で線路上のガレキを撤去してくれました。特に被害の大きかった南リアス線は、知事が自ら自衛隊に掛け合ってくれました」(前同)

この自衛隊によるガレキ撤去は「三鉄の希望作戦」と呼ばれ、延べ2000人が投入された。
「師団長が岩手県出身で、隊員の中には高校通学時に三鉄を使ってくれていた人もいて、再開のために一生懸命やってくれたんです。その結果、3週間かかるとされていた作業を、わずか2週間でやり遂げてくれました」(同)

その後、補正予算の成立で国庫の支援が受けられるようになり、なんとか復旧費用を賄えるメドがついたが、それまでは社内でも、本当に三鉄が復活できるのか半信半疑だったという。それが、この自衛隊の奮闘により、「すぐにでも列車を走らせることができる」というムードへ一変した。

さらに"希望"という名の下、ゼネコンも協力を惜しまなかった。
「昭和50年代に線路を作った大手ゼネコンは、"30数年前に工事を請け負った区画が震災でやられたんなら、責任を持って工事させてもらう"と言い、格安の代金で工事を請け負っていただきました。本当にこんなことがあるのかと感動させられた瞬間でした」(同)

一日も早く復旧させたいと望む自衛隊やゼネコンの心意気に、住民らも応えた。
いつの頃からか、未復旧区間の住民らが列車の走っていない駅舎を掃除し始めたという。

また、地元住民以外からの協力もあった。
明治学院大学国際学部の原武史教授は、乗車券購入という形で三鉄を支援した。
「小本-宮古」間の乗車券(片道600円)を往復で計1000枚も買ったのだ。
「三陸鉄道が震災からわずか5日後に一部区間を復旧させ、無料で走らせたことに感銘を受けました。そして、切符を大量に買うことが何よりも支援になると考えたのです。その切符ですか?誰かにお会いするたびに差し上げていましたが、まだ100枚ほどは残っていますよ」(原教授)

実際、資金調達は三鉄にとって大きな課題であった。
「運賃収入がないなかで、いかに経営を維持するのか。三鉄のグッズを開発したり、列車に幕をつけて広告媒体として活用したりと、新たな収入源を模索しました。津波によって損傷したレールを"復興祈願レール"として販売したりもしましたよ」(冨手部長)

その"復興祈願レール"は1本3~5万円と高価なものにもかかわらず、1日で200本が完売。
しかも鉄道マニアではなく、「昔、三陸鉄道に乗った」という一般の人たちが買ってくれた。
また、『あまちゃん』ブームも三鉄の復旧を後押しした。

こうして、被害の大きかった南リアス線も、昨年の4月3日に「盛-吉浜」間で一部開通した。
「当日は雨が降り、肌寒い一日でしたが、2年間、待ちに待った住民らは大漁旗を打ち振り、一番列車を迎えました。住民の中からは、"三鉄の赤字解消のために、オラもう、自家用車には乗らねえ。三鉄に乗るべ!"なんていう声も挙がっていました。自家用車のある人にも、三鉄は特別な存在なんですよ」(前出・地元紙記者)

03月20日公開のvol.03に続く・・・。

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