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映画『永遠の0(ゼロ)』公開直前specialワイド「奇跡の戦闘機」零戦かく戦えり! vol.04

[週刊大衆12月30日号]

ゼロ戦乗りのエースといえば、『大空のサムライ』の坂井三郎が有名だが、「撃墜王」と称えられた男は、彼だけではない。

まず、202機を撃墜したとされる岩本徹三・元海軍中尉がいる。
戦争中、戦地を転々としていた岩本は、自ら「天下の浪人虎鉄」と自称していた。
この名は、新撰組を率いた近藤勇局長の愛刀・虎鉄に由来している。

岩本は日中戦争の初陣から敵機4機を撃墜。
ラバウル航空隊時代には、1日で7機撃墜したり、強敵F6Fヘルキャット4機を相手に1機で勝負を挑み、すべて撃墜するなど数々の華々しい戦果を挙げた。
「岩本の得意としたのは一撃離脱法。目標となる敵機を見つけたら、上空から一気に襲いかかって射撃を浴びせ、急降下で逃げていく戦法です」(軍事ライター)
まさに天才のみが使える戦法だ。

岩本はまた、こんな伝説でも知られる。
「生きて戦い抜くことを信条としていたため、特攻志願書に"否"を突きつけたそうです」(前同)

撃墜数で、その岩本に匹敵する西澤廣義・元海軍中尉も凄い。
「ラバウルの魔王」と呼ばれ、予科練教官が「予科練卒業生で敵機を一番落としたのは誰か」という質問をしたところ、教え子らがこぞって西澤の名を上げたという逸話があるほど。

撃墜数は、140機以上だとされている。
「坂井三郎と西澤は同じ航空隊に所属し、坂井が負傷して内地に帰還したあとも西澤は戦い続けました。水平線より下の敵機を発見する能力に優れ、"1秒でも早く敵機を見つける"が口癖だったそうです」(同)

機体に黄色い帯を描いていたことから「イエローファイター」の異名で米軍から恐れられたのが、菅野直(かんのなおし)・元海軍大尉。
「訓練生時代に、まだ教わっていない宙返りを勝手にするなど、とにかく破天荒な性格だったそうです」(歴史雑誌編集者)

菅野は共同で撃墜した数を合わせると72機という記録を持ち、B24などの大型爆撃機への攻撃を得意とした。
その操縦技術は高く、特攻志願した際に、上層部が技量を惜しんで出さなかったそうだ。

一方、悲劇の撃墜王と言われるのが杉田庄一・元海軍少尉だ。
杉田は、連合艦隊の山本五十六長官の護衛につきながら、長官の搭乗機を敵機から守れずに墜落させてしまう。

以降、自責の念にかられた杉田は、死にもの狂いで敵機に挑み、21歳の若さで戦場に散った。
「その執念はもの凄く、戦いで全身に大火傷を負って手の指同士がくっついても、不屈の闘志で復帰したと語られています」(前同)

もっとも、世に撃墜王として知られるこれらの人物は、一部に過ぎない。
「戦争半ば、海軍は個人の撃墜記録の記載を止めて、部隊戦果に切り替えました。また、3機編成による空中戦に移行し、敵機を撃墜したかどうか、最後まで見届けられなくなりました。結果、自薦・他薦による撃墜記録が語られ、正確な数字は不明なんです。だから、無名の撃墜王も多数いると言われています」(同)

太平洋に消えた彼らの活躍なくして、ゼロ戦は語れないのだ。

12月27日公開のvol.05に続く・・・。

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