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タクシードライバーが紡ぐショートストーリー【第3回】

タクシードライバーが紡ぐショートストーリー【第3回】

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大都会・東京。様々な人間の欲望渦巻くアスファルトジャングルで、いつ何時誰にでも利用できる唯一無二の交通手段として存在するタクシー。一般人からセレブ、はたまたフリーターから芸能人まで、ありとあらゆる人たちを乗せて走るタクシードライバーたちの素顔に迫る実録ルポーー。

「よいしょっと。えっと…杉並の善福寺公園まで行ってくれる?」

深夜の新宿歌舞伎町で拾った小太りの客が、吉田正太(仮名・56歳)にそう告げた。この時間の多くの客がそうであるように、小太りもゴキゲンに酔っているようだ。吉田はメーターを倒しながら、「お客さん、シートベルトお願いします」と言おうかと思ったが、やめにした。以前、それで客と揉めたことがあったからだ。

"酔っぱらい"というのは、機嫌良く見えていても、突然つまらないことで怒りだすことがある。例えば「なるべく早そうなルートで」と言っていたくせに、目的地までショートカットしようと裏道に入った途端、「運転手さん、これ遠回りじゃないの?」なんて気色ばむ。だからこそ、客にツッこまれないようにするための細やかな目配り、気配りが必要なのだ。それはタクシー運転手の仕事を始めて10年になった吉田が、もっとも心がけている点であった。

「ところで運転手さんは、奥さんいるの?」

混雑を避け、住宅街を通って青梅街道に出ようとしたところで、小太りが唐突に話しかけてきた。答えるべきか迷ったが、無視するわけにもいかないので、「ええ、以前はいましたよ。でも、別れちゃいました」と返した。

「そう、運転手さんも別れたの? いや、実は俺も離婚しちゃったんだよね~」

いきなり馴れ馴れしくなったかと思うと、そこから先は小太りの独壇場だった。

「結婚したての頃は俺が仕事で遅くなっても、あいつは起きて待ってくれてたんだよね。それが、だんだん先に寝るようになって…。そのこと自体は別に構わないし、何も旦那の帰りを起きて待っていてほしいなんてことまで言いませんよ。でも、俺だって仕事の付き合いもあるわけじゃない? 面倒でも顔を出さなきゃならない付き合いのひとつやふたつさ。ねー、運転手さんだって、そうでしょ~?」

明らかに酔っぱらいの口調だ。変に刺激しないように、気を使いながら相づちを返す吉田に小太りがなおも続ける。

「そういうときにさー、女房が先に寝ているのを見れば、やっぱり小言のひとつも言いたくなるじゃない? そんなことが1、2カ月続いて、それでいきなり『別れさせてもらいます』ってのは、どういうことだっつうんだよ! あのアマ! ねー、運転手さん! これ、どう思う?」
「まあ、最近の女の人は、そんなものなんじゃないですか? 私らの時代と違って、女性が強いといいますか。お客さんはまだお若いからアレでしょうけど、我々の世代は熟年離婚とかそうそうなかったですからね…」

あれは5年前の冬だった。大恋愛の末に結婚した吉田より3つ下の妻・奈津子は、子宮ガンでこの世を去った。死別という現実を受け入れたくなかったし、誰かに説明するたびに同情されるのも面倒な吉田は、いつも「別れた」ということにしているのだ。

「そっかー、どうして離婚したの?」

なおも続ける小太りに吉田は、「いやぁ、お客さんと似たようなもんですよ。こういう仕事ですし、どうしても帰りは不規則になりますからね。子供を連れて出て行ってしまいました」と嘘をついた。

「なるほどね…運転手さんも大変だね」

同情してくれたようだが、吉田は少しバツが悪かった。

「あ、このへんでいいよ。じゃ、これで。釣りはいいや」

そう言って小太りが1万円札を差し出した。

「いやいや、お客さん。お釣り、結構な額ですよ?」
「いいよ、いいよ、今日はつまらない愚痴を聞いてもらったから」
「では、遠慮なく。ありがとうございました」

吉田に向かって片手を上げた小太りが、ややおぼつかない足取りで遠ざかっていく。酔っぱらいは面倒なことも多い反面、こういうことも少なくない。

「このチップは奈津子のおかげだな。ごめんな、いつも別れたことにしちゃって」

吉田は元妻に詫びながら、再び歌舞伎町方面へと車を走らせた。

※登場人物はすべて仮名です。
※取材した内容をもとに構成しています。
※写真はイメージです。

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