日刊大衆TOP 芸能

バレンティンジョーンズ輩出野球王国「オランダ領キュラソー島白球探訪記」 vol.01

[週刊大衆03月31日号]

南米のベネズエラから60キロほど北方のカリブ海に、"高品質"の選手供給地としてメジャーリーグから注目を集める小島がある。

人口150万人、国土面積は種子島と同程度のオランダ領キュラソー島だ。
世界を席捲するキュラソー旋風が日本に届いたのは昨年のことだった。

ウラディミール・バレンティン(ヤクルト)とアンドリュー・ジョーンズ(楽天)という二人のキュラソー出身選手が、日本球界で大活躍を見せたのだ。

バレンティンが王貞治のシーズン本塁打記録を49年ぶりに塗り替えれば、メジャー通算434本塁打、10度のゴールドグラブ賞と鳴り物入りで来日したジョーンズは、楽天の初優勝に4番として貢献した。

「アンドリュー・ジョーンズのおかげで、俺はキュラソーで最も有名な人物の一人になった。5年前には彼を育てた功績を称えられ、オランダの女王から表彰されたこともある」
こう胸を張るのが、ジョーンズを13歳のときから4年間指導したアーネスト・メイヤーだ。

現在57歳の彼は少年野球のコーチを36年間務める一方、ボルチモア・オリオールズの現地スカウトに就いて17年になる。
「アンドリュー、アンディ、ボタタタキフォー(外で、あなたの父親が待っているわよ)!」

ジョーンズの母親が現地のパピアメント語でそう叫んでいた声を、メイヤーは今もよく覚えている。

それを聞くと、ジョーンズはメイヤーの待つ練習場にやって来た。
ジョーンズには父親が"二人"いた。

一人は実の父親であるハリー・ジョーンズで、キュラソーで名選手として知られた人物だ。

もう一人がコーチのメイヤー。
彼の前で、両親はアンドリューを「君の息子」と呼ぶほど信頼していた。

少年時代のジョーンズは走攻守に優れた才能を誇っていたものの、飛び抜けたレベルとは思われていなかった。

16歳で出場した所属する少年野球リーグのプレーオフでは、ベンチスタートだったほどだ。

しかし、死球で交代した選手に代わって打席に立つと、2打席連続本塁打を放った。

「あの少年は誰だ?」

メジャーのスカウトとして33年間、キュラソーの選手を追うヘスス・"チュ"・ハラビ(現テキサス・レンジャーズスカウト)は、別の選手の視察で足を運んでいたが、「今度はアンドリューを見に来る」と、近いうちの再来訪を告げた。

当時、メイヤーはアトランタ・ブレーブスと協力関係にあり、その旨を同球団に伝えた。
ブレーブスはすぐに5人のスカウトを送り込み、ジョーンズとの契約を即断した。

「アンドリューは野球が大好きで、ほとんど指導する必要がなかった。教えたのは規律くらいだ」そう話すメイヤーが、当時を振り返る。

「アンドリューが練習でよくない振る舞いをすると、俺は家に帰らせた。すると父親が"謝ってこい"と連れて来る。ハリーが一緒に来て、"君の息子は何をやったんだ?"って聞くんだよ。俺と実の両親における、チームワークのようなものだ。そうやってアンドリューに規律を教えた。彼が成長するうえで、父親が非常に重要な存在だったんだ」

16歳でブレーブスと契約したジョーンズは96年、19歳でメジャー昇格を果たすと、同年のワールドシリーズで離れ業を演じた。

ニューヨーク・ヤンキースとの初戦、ジョーンズは1打席目から2打席連続本塁打を放ってみせたのだ。

この試合がキュラソーの未来を変えた。
「あの偉大なミッキー・マントルの最年少記録を破ったんだぞ。信じられなかったよ!」そう語るのが現地紙『ウルティモ・ノティシア』のジュリアス・ココ記者だ。

42歳の彼は昨年、バレンティンの本塁打記録を見届けるために、わざわざ来日している。
ココが野球にのめり込むきっかけは、ジョーンズの活躍だった。
ヤンキースの主砲としてシーズンMVPに3度輝いたマントルの最年少記録をジョーンズが打ち破り、ココは野球の虜になった。

「89年、ヘンスリー・ミューレンスがキュラソー初のメジャーリーガーとなり、96年、2番目のジョーンズがワールドシリーズに出て2打席連続本塁打を放った。この島の誰もがテレビで試合を見たよ。以前はサッカーのほうが人気だったけど、ジョーンズの活躍で野球人気が爆発したんだ」

03月25日公開のvol.02につづく・・・。

この記事が気に入ったら
をしよう

いいね!

@taishujpさんをフォロー

大衆のオススメ


オススメタグ


人気記事ベスト10


日刊大衆公式チャンネル


Copyright(C) 日刊大衆 Futabasha Publishers Ltd. All rights Reserved.