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50歳アイドル松田聖子「魔性の30年史」 vol.1

[週刊大衆07月09日号]

80年にデビューして以来、トップアイドルとして君臨し続ける彼女。
多くの男を奔放な愛で魅了したが…!?

「50歳の3度目婚は理想的。子供抜きでのこれからの30年を、新パートナーと充実させるという誰もが見習いたい結婚です。男も女も、死ぬまで満足する人生を歩みたいものですよ」
と、"人生3度結婚説"を唱える東京家族ラボの池内ひろ美氏が、今回の結婚を応援するのが、まさにその3度目の結婚を果たした松田聖子(50)その人だ。

自身のブログで〈知人の紹介で、大学准教授の一般男性と入籍しました〉と公表したその相手は、慶応大学医学部口腔外科准教授(48)である。
「ネット上の彼の画像を見ると、郷ひろみと、神田正輝と、前夫の歯科医のいいとこ取りをしたような彫りの深いイケメンですよ」(スポーツ紙記者)

一方、仕事面では、現在も歌やドラマ、CMで大活躍中の聖子。
「中島みゆきと共演した化粧品のCMが大人気。一流ホテルでのディナーショーはいつも完売です」(前同)
と、いまだに50歳アイドルとして輝いている彼女は80年、『裸足の季節』でデビュー。
その後、『風は秋色』(80年)から『旅立ちはフリージア』(88年)まで、オリコンシングルチャートで実に24作連続1位に輝くなど、トップアイドルとして芸能界で君臨し続けた。

だが、その華やかな活躍の裏には、常に"男の影"があった。
今回は、彼女の30年に及ぶ魔性ぶりを振り返ってみよう。
「九州から上京した彼女がデビューしたのは、当時では遅めの18歳。大がかりなキャンペーンが成功して、デビューしてすぐ、グリコのCMでブレークしました」(ベテラン芸能記者)
そのCMで共演したのが、"たのきんトリオ"の一人で『哀愁でいと』でデビューした田原俊彦。
"爽やかカップル誕生"と、当時、噂になったが、翌年には早くも、「一人の人間として好きです」と、郷ひろみとの交際宣言をする。
「発端は、聖子がデビュー前から郷の大ファンだったこと。彼女が19歳のときに交際が発覚して、4年後を目処に結婚→引退のレールが敷かれました」(前同)

ところが、2人で田園調布に土地まで買ったところに、神田正輝が現われて、大逆転!
「まあ振り返れば、あの男好きな聖子に、4年間同居を待てと、それはキツ過ぎましたよ(笑)」(同)
実は、映画界では、彼女の結婚→引退を見越して、その花道として映画『カリブ・愛のシンフォニー』(85年)を準備。すでにロケをメキシコで開始していたのだが、その共演者が神田正輝だったのだ。

「実は、郷との結婚は"引退"が条件でした。ところが彼女のブレークぶりに、身内も事務所も活動継続を熱望。その結果、水面下でトラブルに発展していたんです。そこに現われた神田は、"結婚しても引退しなくていいよ"といってくれた。しかも、神田の後ろ盾は石原軍団。彼女が神田に乗り換えても仕方がなかったでしょうね」(同)
結果、郷とは破局。
「生まれ変わったら、一緒になろうね〜」という有名な破局会見へと繫がるのだが、その会見の席上で見せた泣き顔に、「あれは、ウソ泣きだ」と、大バッシングが起きたのだった。

その渦中の85年6月、聖子は神田正輝と最初の結婚をする。
その結婚は、2人の名前にかけて「聖輝の結婚」と、空前絶後の報道合戦になった。
結婚の翌86年、長女の沙也加が生まれたが、わずかな休業期間でカムバック。
復帰の舞台として選択されたのが、米国だった。
「彼女は娘・沙也加と夫を残して単身ニューヨークへ。80年代後半のバブル風潮も彼女を支持しました」(女性誌記者)

ところが、現地では……。
「88年、近藤真彦とNYでの密会疑惑が報じられたのです。"すでに中森明菜と噂のあった近藤が、聖子とも二股をかけていた。むしろ本命は聖子か!?"と、大騒動になりましたが、まったく懲りる様子はありませんでしたね」(前同)
そして、ついに、そうした行動に自粛を促した所属事務所のサンミュージックとも縁を切って、彼女は"わがまま独立"をする。

07月07日公開のvol.2に続く・・・。

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