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我が青春の80年代アイドル30年間の「光と闇」 vol.1

[週刊大衆07月30日号]

「"アイドル"という言葉が日本で最初に使われたのは、60年代半ばに中尾ミエを売り出す際だったとか。そして、アイドルが最も輝いていた時代が80年代なんです」(芸能記者)

1980年、スーパースター・山口百恵の引退とバトンタッチするように、松田聖子がデビュー。
80年代アイドルの歴史は彼女とともに始まった。

"聖子ちゃんカット""ブリッ子"とともに、当時の聖子のキーワードになったのが"うそ泣き聖子"だ。
「80年の日本歌謡大賞で、最優秀新人賞を受賞した聖子は、感極まって"お母さ~ん!"と叫びながら号泣したんですが、なぜか、涙が一滴も出ていなかった。それ以来、"うそ泣き聖子"という通り名がすっかり定着してしまったんです(笑)」(前同)

破竹の快進撃を続けていた松田聖子が世間をアッと驚かせたのが、85年の郷ひろみとの破局と神田正輝との電撃結婚だ。
同年1月、結婚秒読みと思われていた郷と破局したことを発表。
記者会見で、「今度、生まれ変わったら一緒になろうね、といいました」と名セリフを吐いた聖子だが、舌の根も乾かぬわずか1カ月後に、映画で共演した神田正輝との結婚を発表。6月に挙式したのだ。

「郷に"結婚したら家庭に入ってほしい"といわれ、最後は結婚よりも仕事を選んだんです」というのは芸能ジャーナリストの二田一比古氏。
「あの"生まれ変わったら一緒になろうね"というセリフも、郷は後日、"そんなことはいってなかった"とキッパリ否定。どうやら、聖子があとから付け加えたもののようです」

その後、アメリカ人イケメン相手の"つまみ喰い"が何度か報じられるなど、肉食系アイドルの本性を遺憾なく発揮。
結局、"聖輝のカップル"は97年に破局したが、今年6月に歯科医と再々婚したのはご存じのとおりだ。

聖子と同じ80年デビュー組は、ほかに河合奈保子や、柏原芳恵(当時はよしえ)もいた。
「河合は、いまなら"爆乳アイドル"として売り出したかもしれませんね。彼女は『芸能人水泳大会』の常連として、豊満な水着姿を何度も披露してくれた。隠れオナペットとしての人気はダントツでしたね(笑)」(夕刊紙記者)

『3年B組金八先生』(TBS系)のツッパリ女子中学生役でブレークした三原じゅん子(当時は順子)も、歌手デビューは80年。

「87年にはフライデーの記者を路上で暴行。現行犯逮捕される事件も起こしています」(芸能記者)
そんな彼女が、いまでは国会議員のセンセイ。その闘争心とヤル気を、国政でも活かしていただきたい!?

81年には、薬師丸ひろ子が主演した映画『セーラー服と機関銃』が公開。今号にも登場する斉藤由貴(88ページ)、大西結花(214ページ)のほか、南野陽子、浅香唯らが出演したドラマ『スケバン刑事』シリーズ(85~87年、フジ系)とともに、"アイドル=セーラー服"という図式が確立した。

アイドルブームが爆発したのは翌82年のこと――。

この年にデビューした、「元祖バイリンギャル」早見優、いまはバツ3で子供5人の母・堀ちえみ、ヒロミ夫人の松本伊代、薬丸裕英夫人の石川秀美、中村橋之助夫人の三田寛子らは、"花の82年組"と呼ばれたが、なかでも、歌手として大成したのが中森明菜だ。

"ブリッ子聖子"に対して"ツッパリ明菜"といわれた彼女はヒット曲を連発。
85年『ミ・アモーレ』、86年『DESIRE』で2年連続レコード大賞を受賞したが、これは当時としては史上初の快挙だった。

芸能リポーターの川内天子氏がいう。
「歌手としては聖子を超えた明菜ですが、生き方は対照的。世渡り上手で、したたかな聖子と無器用な明菜は、その後も"真逆"の人生を歩んでいます」(川内氏)

映画共演を機に、マッチこと近藤真彦と交際が始まった明菜だが、89年7月に彼女が近藤の自宅マンションで自殺未遂事件を起こしたことで、運命は暗転。
同年大晦日に行なわれたツーショットの謝罪会見を最後に、2人が再び会うことはなかった。

「明菜はマッチに心底、惚れ抜いてましたからね。87年にマッチが『愚か者』でレコ大を受賞したとき、明菜は文字どおり、跳び上がって喜んでいました。あの大晦日の記者会見はジャニーズ事務所主導だったため、マッチを擁護する内容に終始。明菜だけを晒し者にしているようで、見ていて白けました」(前同)

07月24日公開のvol.2に続く・・・。

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