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第7回 神から挑戦という使命やチャンスを与えられた”チャレンジド”とともに生きるパワフルな姉御!―竹中ナミさん

2014-05-30

100年先まで残したい「超・人間カタログ」東京レジェンドNAVI


東京と言う街は、やはり政治、経済、文化の中心だと実感します。今回私は、神戸で生活しながら、東京で仕事をして活躍している方にお話を伺うことが出来ました。
自分の信念を20年以上曲げずに、仕事を通して社会貢献に取り組んでいらっしゃる方です。
取材当日、赤坂にある事務所にお邪魔すると、竹中ナミさんは笑顔で私を迎えてくれました。
竹中ナミさんは、仕事の傍らで音楽活動、歌手もされています。
通称・ナミねぇ!
「私も"ナミねぇ"と呼ばせて頂いても良いですか?(笑)」
「もちろん!"ナミねぇ"と呼んで下さい」
そんなフレンドリーな会話から取材に入ることが出来ました。
では、ここで少し、ナミねぇのご紹介をしましょう。

ナミねぇは、現在、社会福祉法人プロップ・ステーションの理事長で、平成22年からNHK経営委員としても活躍しました。実は、ナミねぇは2003年、あの世界的に有名なビル・ゲイツさんにユニバーサル社会に関する特別インタビューをしたことでも知られています。
また、そんな華々しい活躍の裏で、ナミねぇは、23年以上、"チャレンジド"や社会的弱者と呼ばれる人たちに対する支援をされ続けてきました。

「私は、障害者と言う言葉が嫌いで、障害のある方々のことを"チャレンジド"と呼んでいます。どんな人たちも、持てる力を充分に発揮出来たうえで、すべての人が誇りを持って生きられる"ユニバーサル社会"を目指したいんです。」
ナミねぇは、結婚後に授かった娘さんに重度の心身障害があり、自分の死後、子の行く末を案じてしまったことから、親がなくとも生きられる社会、親が安心して死ねる社会であって欲しいとの願うようになったそうです。それを機に、障害のある人たちの自立支援を事業としてスタート、1991年に草の根グループ「プロップ・ステーション」を設立しました。ナミねぇは、この時から、障害のある人を"神から挑戦という使命やチャンスを与えられたチャレンジド"であると捉え、障害のある人が、少数者だからと一方的に支援を受ける側になるのではなく、その人のできる限り、やる気と体力的に適う限りの就労をすることで納税者になれるように、様々な職業訓練を通じた自立支援を行っています。

健常者が一方的に障害者を支援することで、結果として対等でない"弱者"という立場に押し込めるのではなく、障害のある人たちが、自分でできることは自分で行って社会参画し、自らも社会の担い手、支え手となり、(今は)健常者(と呼ばれる状態の人たち)と、障害のある人たちが「支え合える社会」を目指して、活動を続けています。

神戸生まれ、神戸育ちのナミねぇに聞いてみました。
「東京って、どんな街ですか?」
「そうやね、最初は、神戸から見たら、東京は遠いところ…って言う印象があったかな?!でも、東京に事務所を構えて7年位になるけど、やっぱり私にとっては東京は働くチャンスにつながる街。絶対に来ないと仕事にならへんところやね。」


「ナミねぇにとって、東京は仕事をする上で大切なところなんですね?」
「そうやね。生活よりも仕事の街かな。週に1~2回往復することもあるんよ。東京には、法律や社会制度を作る永田町や霞ヶ関があるでしょ。色々な法律やルールを決める人たちとの付き合いは、私にとってすごく大切なんよ。行政のルールや制度に則って国民の生活が進められてるけど、国のルールにないことを国や役所は出来へんから…。まだまだ知られていない大切なことを制度に生かして行けるように、それを、東京に乗り込んで(笑)私から発信していかなアカンと思ってます」

「ナミねぇが考える<良い社会>って、どのような社会でしょうか?」
「例えば、人に能力があっても、働ける環境の整備がなければアカンでしょ?それは、どんな人にも言えることやと思うの。人が力を発揮出来るための私が考える3点セットがあってね、"法律"、"道具"、"意識"
「法律や意識は大体理解出来ますが、"道具"って具体的に何を指しますか?」
「例えばICT、コンピューターとかの情報通信技術や機器ね。」
「なるほど!」
「この3点セットの内で、一番発達したのは、この"道具"やと思うわ。実は私、プロップ・ステーションの活動を始める前には、コンピューターと福祉は無縁やと思っててん。でも23年前、パソコンも携帯電話も一般家庭に「0(ゼロ)台」っていう時に、「ベッドの上でも働けるようになりたい」と言うチャレンジドたちに出会い、ICTの技術者たちとつながり…。今では、コンピューターを駆使して、チャレンジドが社会に貢献出来るまでになったんよね!」

障害者の人々に対して"可哀想"というイメージから入ると、その可能性に蓋をすることに繋がりかねないと言うナミねぇ。
「まず自分自身がチャレンジドを、人として、社会人として、生きていける人やと確信すること。道具の他にも、法律や意識が変わらなアカンと自覚すること。障害で目が見えへんけど、音声でホームページを作るチャレンジドが、今はたくさんいてはるんよ。出来ないものを、どうやったら出来るようにするか、その人なりのやり方を探したり生み出したりすることが、ホンマの福祉の出発ちゃうかな。」

「ナミねぇのこれからの夢は何ですか?」
「ユニバーサル社会を造り、広げることやね。自分の可能性をだれもが発揮できる社会になったらえぇなぁ、って思ってる。目線をどこに置いたら、一緒に遊んだり、一緒に勉強したり、一緒に仕事したりできるようになるかを発見していく。そういうことが、ホンマに大切な"教育"やと私は思ってます」

高齢者社会に入り、東京も地方もバリアフリーなど福祉が叫ばれる時代になりました。
一括りに福祉というのではなく、若いチャレンジドと高齢者、それぞれに合った政策を創る必要性があると思いました。チャンスを広げるノウハウを探したり、作ったりする。つまり、やり方を工夫することが大切。みんな、まだチャンスを知らないんだから……。
今回の取材を通して、ナミねぇから教わったことばかり!

「でもね、寺西さん。実は私、人にえぇかっこ言える立場ちゃうんよ。」
「どう言う意味ですか?」
ナミねぇが取材の最後に私に話してくれた内容に胸が熱くなった。
「私は昔、めっちゃワルやってん。『ワルのナミねぇ』(笑)。でもワルやったからこそ、世の中のルールを疑ったり、変てもえぇっ!! って思えるパワーが持てたんよ。
その私が、チャレンジドの娘を授かった。『今のナミねぇ』があるのは、実はチャレンジドとして生きている"娘"のおかげ。41歳の娘マキは、未だに私を母親だとわからへんけど、娘を授かったことで、私は、こうやって素敵な仕事をさせてもろてる。娘が私にチャンスをいっぱいくれた! 親が子供を育てるんじゃなくて、娘が私を育てたの。子どもが親を育てるんよね


寺西一浩(てらにし かずひろ) プロフィール
1979年10月2日生まれ
3歳で、女優・山岡久乃に見初められ子役として活動。慶應義塾大学法学部卒業。慶應大学在学中に出版したエッセイ『ありがとう眞紀子さん』が話題となり文壇デビュー。
その後、24歳の時、業界最年少で芸能プロダクション、株式会社トラストミュージックエンタテインメント代表取締役に就任し島倉千代子歌手生活50周年事業を成功させる。
その後は、小説家、プロデューサーとして活躍。著書に、「クロスセンス」「新宿ミッドナイトベイビー」「女優」、世界初電子書籍連載小説「Mariko」を配信。
2011年、「女優」が映画化されるにあたり、自身が監督デビュー。
「女優」は、第15回上海国際映画祭正式招待作品に選ばれ主演・岩佐真悠子とレッドカーペットを歩く。また、第25回東京国際映画祭、東京中国映画週間特別上映作品に選ばれ開幕式でグリーンカーペットを歩き話題となる。2013年、映画「東京~ここは、硝子の街~」を監督・脚本・プロデュース(出演:中島知子、田島令子他)。日本最大級の男性ファッション&音楽イベント「東京ボーイズコレクション」を大原英嗣氏と共に主催。ゴールデンバード賞主催。2014年、「新宿ミッドナイトベイビー」が映画化決定。


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