日刊大衆TOP 芸能

美しくて気高い!「日本女性のおっぱい遷変55年史」 vol.1

[週刊大衆10月29日号]

おっぱいは、男の人生とともにある!
創刊以来55年間、ひたすらお乳を見つめてきた本誌が、日本女性の「おっぱい変遷55年史」をお届け!

第1部
海女さんが大人気を博す!昭和33年の「おっぱい事情」

いまとは違い、昭和33年(1958年)はまだ、女性の裸は"秘すれば花"という時代だった。そんななか、本誌創刊号(同年4月21日号)の表紙を飾ったのが、当時26歳だった山本富士子。

美人女優の代名詞的存在だった彼女だが、昭和25年に行なわれた第1回「ミス日本」コンテストで優勝したのがきっかけで、芸能界入り。決してエロでは売らなかった女優だが、「肉体の豊かさは一目瞭然。男たちを夢中にさせたもんです」(ベテラン芸能記者)

ちなみに"グラマー"という言葉が一般化したのも昭和30年代前半だった。当時、ヌードの殿堂として大人気だったのが日劇ミュージックホール(MH)。東京・有楽町の日劇ビル(現・有楽町マリオン)5階にあった日劇MHでは、豊満ボディの踊り子たちがトップレス姿になって、華麗なダンスショーを披露。
昭和27年に開業し、昭和33年当時は、まさに全盛期といえる賑わいだった。
「銀座のド真ん中で、おおっぴらに美女のおっぱいが見られるわけですから、そりゃ人気が出ますよね。中学生の頃、私は日劇の地下にあった丸の内東宝によく洋画を見に行ってたんですが、早く大人になって日劇ミュージックホールに行きたいなァと、どれほど憧れたことか(笑)」というのは、映画評論家の秋本鉄次氏。

昭和33年には、この年、爆発的にヒットしたフラフープをダンスに取り入れる演出もあったというが、いかにも時代を感じさせるエピソードである。

アンジェラ浅丘、岬マコ、マリア茉莉といった人気ダンサーを輩出した日劇MHだが、女優の故・春川ますみや、あき竹城もMHダンサーズOGだ。一方、昭和30年代に"おっぱい映画"としてヒットしたのが、昭和32年公開の『海女の戦慄』(新東宝)をはじめとする、一連の"海女もの"だ。

『海女の戦慄』に主演した前田通子(23=当時)は"戦後のグラマー女優第1号"といわれた肉感的なボディの持ち主で、前作『女真珠王の復讐』に続いて、後ろ姿ながらフルヌードを披露。
持ち重りのしそうなデカパイを両手で抱えて見せるなど、刺激的すぎるシーンが話題になった。
「彼女は吹き替えなしで全裸になった、初めての女優なんです」(映画誌記者)

"元祖・手ブラ"の栄光も前田のものだろう。
「海女なら裸を見せても不自然ではない、という"言い訳"があったんでしょう。海女もの映画は、昭和30年代の映画界の"夏の風物詩"として定着した感がありましたね」(前出・秋本氏)

当時の本誌モノクログラビアでも、日本各地の海女を再三取り上げている。そういう意味では、海女さんこそ"元祖グラドル"だったのかもしれない。

10月25日公開のvol.2に続く・・・。

この記事が気に入ったら
をしよう

いいね!

@taishujpさんをフォロー

大衆のオススメ


オススメタグ


人気記事ベスト10


日刊大衆公式チャンネル


Copyright(C) 日刊大衆 Futabasha Publishers Ltd. All rights Reserved.