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長男 松岡慎太郎氏が語った「オヤジ・立川談志マル秘素顔」 vol.2

[週刊大衆12月10日号]

幼少時から談志の考えに接してきた慎太郎氏は、長じて父をマネジメントする立場となった。
「落語家になろうと思わなかったのかと、よく訊かれますが、あまり興味がなかった。談志も"やれ"とか"継げ"みたいなことはいいませんでしたから。事務所をやることになったのも成り行きです。もともと所属していた『立川企画』を辞めて一人でやる、っていい出したんです。大丈夫? っていったら"一人でやる"と。一人でやるって、どうすんの? と訊くと、"いいんだよ。電話置いて、電話受けて、手帳見て、いついつ空いてるって確かめて、そこ行って、ギャラはあとで振り込んでもらえばいいんだろ?"って(笑)。確かに間違ってないけど、地方の仕事ならチケットの手配やらいろいろあるし、そのとき、自分も特にこれという仕事はしてなかったんで、じゃあ電話番ぐらいやります、と。それが最初ですね」

父をマネジメントするのは、困難ではなかったのだろうか?
「私と談志の関係は、事務所を始めたからって、あまり変わらなかったです。要するに、常に立川談志なんです。裏表がない。立川談志が家に帰ると、素顔の松岡克由(※本名)になって、もの静かになるなんてことはなく、ずっと立川談志のままなんですよ。ちなみに、オヤジ、と呼んだことはないです(笑)。極端にいえば、自分にとって、松岡克由という人は"いない"ぐらいの感覚ですね。普段、家でいってることと、高座のマクラで話すことはだいたい一緒ですから。だから"どんなお父さんですか"と訊かれたら、"あんなお父さんです"というしかない。亡くなる瞬間までそうでしたね。最後の最後まで、立川談志でした」

晩年の談志は、慎太郎さんとはスポーツの話をすることが多かったという。
「NBAが好きで、よくその話をしてました。バルセロナ五輪でアメリカがドリームチームを結成して優勝するんですが、あのあたりから、"プロバスケットボールは凄い"といって、よく観てましたね。でも、サッカーは嫌いなんですよ。"頭は、ものを考えたり、帽子かぶったりするもんだ。来た球を頭でぶっ叩くなんて、牛じゃあるまいし"って、よくいってましたね(笑)」

最後に、今後の活動について尋ねた。
「談志は映像、音、文章などを数多く残してくれました。落語に関しては一門が継承して次の世代に伝えてもらえると思います。私は談志が残した数多くの財産を、これからも多くの人々に伝えることが使命だと思っています。こういう映像を観ていると、いまでも談志が生きてるような感覚にとらわれますね。見てくれる人、感動してくれる人がいる限り、立川談志は生き続けていく。そんな気がします」

〈立川談志プロフィール〉
1936年1月2日生まれ。東京市小石川区出身。52年、高校を中退し16歳で五代目柳家小さんに入門。63年、真打ちに昇進し、五代目立川談志を名乗る。66年、自らが企画した『笑点』の初代司会者を務める。71年、参院選に無所属で立候補し初当選。のちに自民党に入党。83年、落語協会を脱退し、一門を引き連れて落語立川流を創設。11年11月21日、喉頭がんのために死去。享年75。

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