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【歴史ミステリー】黒田官兵衛が仕組んだ大坂城の攻め口

大坂冬の陣で、真田幸村に南方の守りの弱さを指摘された大坂城。その縄張りは、築城名人と謳われた黒田官兵衛の手によるものだった。官兵衛は、この大坂城の弱点になぜ気付かなかったのだろうか?

織田信長と顕如の戦いの舞台跡に築かれた天下の名城

大坂城は、織田信長と浄土真宗の門主・顕如との間で争われた石山合戦の舞台・石山本願寺の跡地に建てられた城だ。

信長が抱く天下統一の夢。その天下統一をよしとしない顕如は、石山本願寺に籠り頑強に抵抗。その戦いは、元亀元年(1570)に始まり、天正8年(1580)まで11年にも及んでいる。

この石山合戦で信長は、完全な勝利を収めたわけではなく、顕如を本願寺から退去させることに成功しただけだった。信長は、その後の本能寺の変で倒れなければ、この本願寺跡地に城を築いていたと思われる。

この地は、地盤が堅固な上町台地の北端にあり、天守などの巨大建造物が建てやすい場所だ。また、城の北側には京から連なる大河・淀川の本流が流れ、物流の拠点としても有効な場所にあった。さらに、淀川は大坂湾に流れ込み、瀬戸内海航路の良港と繋がっていた。この淀川の流れは、大坂城を守る、天然の堀の役目も担っていたのだ。 

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