若い頃に“映画の仕事をしたい”と考えた僕は、映画学校で演出を学んだ後、『セーラー服と機関銃』(1981年)で有名な相米慎二監督の内弟子のような立場になりました。 僕が弟子入りした頃の相米監督は、旅館に籠もって次回作の準備をされていました。神波史男さんという脚本家の方と朝から晩まで難しい話をしながら…


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