小説家デビューは47歳…月村了衛が語る【人間力】「苦しみながらも書いているその時間」こそが作家の幸せの画像
月村了衛(撮影・弦巻勝)

「小説家になりたい」というか、“なれたらなぁ”と思ったのは、小学生の頃です。ただ……なりたいとは思っていましたが、本当になれるとは思っていなかったので、誰にも言わず、自分の中だけ思い描く夢、憧れのようなものでした。

 あれは高校に入学するときに提出した書類だったと思います。そこに、大学の志望学部を書く欄があったんですね。小説家を別にすれば、子どもの頃に私がなりたかったのは「名探偵」。でも、そういう職業は実際にはない。だったら、弁護士が近いかなと。それで思いつくままに法学部と書いた覚えがあります。

 小説家になるという夢が、強い意思に変わったのは、高校在学中でした。特別に何かきっかけがあったというわけではありませんが、3年生の頃には、志望学部の欄に「文学部」とはっきりと書いていましたから。

 そして、早稲田大学の第一文学部に進学。当時の文芸学科は、他の学科の講義を自由に選択できるシステムでした。それで文学の他に演劇や映画の授業をもっぱら受講していました。そうした勉強をしていたので「脚本を書いてみないか」と声をかけられました。まずは1本書いてみてからという条件でスタートしたんですね。たとえ、「こんなんじゃ使えないよ」と言われたとしても、こっちは小説家になりたいわけだし、なんの痛痒もありません。

 今にして思えばそこが運命の分かれ道でした。もちろん自分が手がけた作品はすべて全力で取り組んだという誇りはあります。しかし、そのため小説家としてのデビューがとんでもなく遅くなってしまいました。「これが自分の人生であったのだ」と思うよりありません。

 脚本家と小説家は、同じような職業では?――そう思われる方がいるかもしれませんが、まったく違うものです。小説家になりたいと思い続けていた私にとっては、苦く、苦しい期間でした。

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