■本人も驚きの“ドームラン”

 では、過去の歴代4番打者は、どうだったのか。球界を沸かせたレジェンドたちを振り返っていこう。

 なんといっても筆頭はやはり、世代を超えて語り継がれるスーパースター、王貞治と長嶋茂雄のONだろう。

「巨人ファンだったから、世代的にも4番といえば断然、王さん。あの有名な“30本しか打てなかったから”っていう引退理由も、今にして思えば、とんでもない。子どもだった当時は、それを聞いて、“だから王は引退するのか”なんて、妙に納得してたんだから、すごいことだよね」(山崎氏)

 一方の長嶋茂雄は、“打撃の神様”川上哲治に次いで、歴代2位となる1460試合に4番で出場。王が1231試合だったことからも、長嶋の愛称である“ミスター”は、引退まで17年間にもわたって4番を守り続けたからこその称号であると言えよう。

「子どもの頃、ウチの父親が“長嶋、長嶋”と言っているのに対し、 “王のほうが本塁打も多いのに”と思っていたけど、プロに入って、じかに接すると、“これが長嶋茂雄って存在なんだ”って、すぐ実感した。自己中心的どころではなく、世界があの人中心に回っている。そんな感じなんだよね」(前同)

 レジェンドONの系譜に連なり、他球団とは一線を画す “巨人の4番”。ライバル球団・阪神のエースとして、歴代4番と対峙した前出の藪氏は、こう振り返る。

「印象に残っているのは、1997年の松井秀喜から打たれた満塁弾。それまで満塁弾だけは700イニング以上打たれていなくて、ヤクルトの尾花高夫さんが持っていた“被満塁本塁打なし”の記録も意識し始めた矢先、外角の甘い球を見事に運ばれた。それからは、年に1本は必ず誰かに打たれていた気がする」

 さらに、藪氏は「高橋由伸阿部慎之助らの左打者には、よく打たれた」と振り返るが、印象深い打席として、巨人時代の江藤智との対決も挙げる。

「広島にいたときは抑えていたはずなのに、巨人に行ってからは、なぜか打たれた。満塁で被弾したときなんて、打った本人が“しまった!”って顔をしていた打球が、スタンドまで届いたしね。あれは、いわゆる“ドームラン”だったと思う。相手の攻撃になると、ロジンバックの粉が後ろに流れるくらい、露骨にアゲインストの風があったから」

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