SAM(撮影・弦巻勝)
SAM(撮影・弦巻勝)

 15歳のときに初めて行ったディスコで、ダンスに魅せられてから、ずっと踊り続けてきました。しかし、47歳くらいで、以前は難なくできていたダンスの技が、できなくなっていることに気づいたんです。「あれ? なんだか体がこれまでと違うぞ」と。ものすごいショックと同時に、切実な危機感を覚えました。

 今、自分の体を立て直さなければ、好きでたまらないダンスができなくなってしまうかもしれない……。

 そんなことになったら、高校生のときに、ダンスへの道を閉ざさずにいてくれた父に面目が立ちません。

 僕の実家は埼玉県の医者一族で、曾祖父の代から医者ばかり。僕も幼い頃から自然に、医者になるんだと思って育ちました。

 ところが僕は、本当に勉強が嫌いで(笑)。中学生のときに、これから受ける試験の数を数えて、絶望的な気持ちになったくらいでした。

 そんなときに出合ったのが、ディスコダンスだったんです。

 友達と行った渋谷のディスコで、映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のジョン・トラボルタのような白いスーツで踊る男性が、とてつもなくかっこよく、自由に見えたんです。

「僕もあんなふうに踊りたい」そう強く思ったんですね。最初のうちは、2か月に一度くらい、親に「友達の家に泊まる」と嘘をついて渋谷や東京へ繰り出すくらいでしたが、隣町の大宮にもディスコがあることが分かってからは、夜中に部屋から抜けだして、しょっちゅう通うようになりました。

 こうなるともう、学校には何の興味も持てなくなって、高校1年生のときに、逃げ出すように家出をしたんです。結局2週間ほどで居場所がバレて連れ戻されてしまいましたが。

 そのとき、父から「おまえはどうしたいんだ」と聞かれて「自由になりたい」と答えたんです。すると父は「未成年だから自由になるのはまだ無理だ。とにかく学校へは行け。そして居場所をちゃんと教えろ。あとは好きにしていい」と言ってくれた。そして「何になってもいいから、まじめにやれ」と。

 そこからは、完全にダンス・ダンス・ダンスの日々。

 父との約束どおり、高校を卒業した後、プロのダンスチームの一員になりました。僕はここで、生まれて初めてダンスの基礎を習い、ビデオで海外のダンサーのダンスを研究して、毎朝、事務所の屋上で練習するようになりました。

 以来、ダンスと名のつく仕事はなんでもやりました。そんな活動を続けていく中で出会ったのが、小室哲哉さんです。

 TRFを結成し、たくさんのヒット曲に恵まれました。経済的に余裕もできて夜遊びの楽しさも知り……いつの間にか、体づくりがおろそかになっていったんです。

  1. 1
  2. 2