■イチローと松井秀喜も!

 平成球史で“惜しかった”と言えば、オリックスのイチローと、巨人の松井秀喜も外せない。

 曰く「狙って本塁打を打ったことがない」と公言するイチローも、リーグ優勝した95年には、打撃主要全部門“六冠”独占の可能性さえあったのだ。

「同年のパ・リーグは打点と本塁打が極端に少なく、80打点のイチローが、ロッテの初芝清、日本ハムの田中幸雄と並んで打点王。本塁打も、28本で本塁打王のダイエー・小久保裕紀と3本差でしたから、“その気になれば”十分、狙える位置にいたんです」(前同)

 他方、松井は、日本最終年の02年。本塁打こそ初の大台50本に到達も、前年獲得の首位打者にはわずか9厘差で届かず、そのまま海を渡ることになっている。

「欠場という形でタイトルを手中にした中日の福留孝介は当初、当時の山田久志監督に出場を直訴したそうです。これに山田監督は“人が何と言おうと、獲れるときに獲らなければタイトルなんて二度と獲れない”と説得。それが、翌年以降の本格的なブレイクにつながりました」(スポーツ紙デスク)

■60本塁打助っ人すら届かず

 近年に目を向けると、最も“惜しかった”のは、13年のヤクルト、ウラジミール・バレンティンだろう。

 打ちに打った60本塁打は、もちろん日本新記録。あと1本だった85年のバースや、タイまで迫った01年の近鉄、タフィ・ローズ、02年の西武、アレックス・カブレラが超えられなかった“55本の壁”を、ついに超えた歴史的瞬間でもあった。

「他の年なら十分ありえましたが、この年は中日からDeNAに移ったトニ・ブランコが良すぎました。バレンティンの打率3割3分は3厘差、131打点は5打点差で、いずれもブランコに次ぐ2位。例年ならブランコも三冠王候補でした」(前同)

■山田哲人もあと一歩

 そして同じヤクルトの山田哲人も、38本を放ち、本塁打王を獲得した15年、三冠王に、あと一歩というところまで近づいている。

「打率は7厘差、打点は5点差とわずか。くしくも、それぞれチームメイトの川端慎吾と畠山和洋に競り負けました。3度のトリプルスリーを達成している山田でも、三冠王はそれほど難しいということです」(同)

 悲喜こもごもの物語に彩いろどられた、三冠王への道。22歳の若者が新たな“神話”を紡ぎ出すことができるか、大いに注目が集まる。

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
  5. 5