岡崎郁(撮影・弦巻勝)
岡崎郁(撮影・弦巻勝)

 大分商業高校3年生の秋に巨人からドラフト3位指名を受けたんですが、実は入団するつもりはなかったんです。というのも、当時は小柄で、プロはとても目指せる世界ではないと思い、法政大学野球部にお世話になることを決めていたんです。

 数球団のスカウトの方にも、そう伝えていたんですが、まさか物心ついた頃からテレビで見てきた巨人からドラフト指名されるとは……。そのときは光栄というよりも、「困ったな」というのが正直な気持ちでした。その後1か月近く、スカウトの方が何度も足を運んでくれたんですが、そのたびに断るのがつらかったですね。

 そんなある日、突然、僕の家にやってきたんですよ、当時、巨人の監督を務めていた長嶋茂雄さんが! “ミスター”のオーラに家族の誰もが圧倒されたんですが、そこでまた「困ったな」と。「わざわざ大分まで来てくれた長嶋さんからの誘いも断り、そのまま帰ってもらうなんてことが、俺にできるのだろうか?」と思わざるを得ませんでした。

 ところが長嶋さんの話は、「まずは寮に入るよね」とか「背番号はこうだね」とか、もう入団する前提だった(笑)。結果、球団からも法政大学のほうに話をしてもらって、プロになりました。

 僕の野球人生を振り返ると、二つの転機があると思っています。巨人でプロ入りを決めたことが一つ。もう一つが病気になったこと。

 1980年に入団してから2軍暮らしが続く中で迎えた5年目、1月の自主トレの初日に判明したのが、肺の周りを覆っている胸膜が炎症を起こす胸膜炎でした。レントゲンを撮ったら、肺の右下がまったく映っていなくて、そこがもう激痛で……。すぐに帰郷し、1か月ほどの入院生活を余儀なくされました。

  1. 1
  2. 2