平安時代に応天門の変と昌泰の変で政敵を相次いで倒していった藤原氏。これらの変を、藤原氏による他氏排斥事件と呼ぶ。その締めくくりが安和二年(969)に左大臣源高たか明あきらを失脚させた事件(安和の変)だ。 高明は醍醐天皇の皇子ながら、母が藤原氏でなかったため源姓を賜り、臣籍に降った。家柄のみならず、…


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