■まだまだある!喜劇人の爆笑伝説
森繁久彌(1913-2009年)『徹子の部屋』(テレビ朝日系)の第1回ゲストとして呼ばれた森繁。彼からあいさつ代わりに「1回どう?」と誘われた黒柳徹子は意味が分からず、キョトン。
三木のり平(1924-1999年)本名は「三木則子」。女性と間違えられることが多く、戦時中の衣料配給では「ノリコさん、はいシミーズ」と言われ、「フンドシでないと困ります」と困惑。
林家三平(先代)(1925-1980年)ご存じ昭和の爆笑王。ふだんからイタズラやジョークが好きで、亡くなる直前の病床で、医師から「ご自分のお名前は言えますか?」と聞かれ、「加山雄三です」。
渥美清(1928-1996年)浅草の軽演劇出身だが、『夢であいましょう』(NHK)などでスターに。テレビ初出演時に、浅草の寄席の癖が抜けず、ステージ上で靴を脱いでしまった。
フランキー堺(1929-1996年)10代の頃、劇団の巡業先で、紡績工場の女性従業員に恋をした。デートをしたいが、未経験でキスのやり方が分からず、先輩の男性劇団員とリハーサルした。
谷啓(1932-2010年)自宅の火災発生時、「燃える家を撮影したい」と家に8㍉カメラを取りに戻る。さらに、消火後、焼け跡にテントを張り、見舞いに来た人たちと麻雀をやった。
月亭可朝 (1938-2018年)吉本興業に「ワイは日本の月亭可朝や」と強気な賃上げ交渉を行ったが、「ヨソへ移ってもらって結構」とはねつけられ、交渉前よりギャラを下げられる憂き目に。
上岡龍太郎 (1942-2023年)『EXテレビ』(日本テレビ系)で、大股を開いた女性を自分の頭で隠すような体勢でトークを展開。高視聴率を獲得したが、局に苦情電話も殺到した。