売春防止法施行で歌舞伎町誕生の画像
売春防止法施行で歌舞伎町誕生の画像

現在では、300軒を超えるバー、キャバレー、ラブホテルなどが所狭しと軒を連ね、日本有数の繁華街として栄える歌舞伎町。

しかし、敗戦前は単なる住宅地でしかなかった。この地が繁栄し始めたのは、1950年代。東京大空襲で焼け野原になったところ、街の復興を掲げ、歌舞伎の施設(新歌舞伎座)を建設する計画が持ち上がった。

この時に歌舞伎町という名がつけられたが、計画自体はとん挫し、名前だけが残された。新歌舞伎座の誘致には失敗したが、"広場を中心として芸能施設を集める、そして新東京の最も健全な家庭センターにする"と目標を掲げ、「東京産業文化博覧会」を開催。

この時に、コマ劇場広場を囲むように、新宿地球座(現・ヒューマックスパピリオン新宿アネックス)などが建設され、さらに56年には、新宿コマ劇場などの娯楽施設が完成。

こうして基礎ができた歌舞伎町が一気に花開いたのが、57年の売春防止法の施行だった。

これにより、近くの新宿二丁目、新宿ゴールデン街の赤線・青線地帯が消え、代わりに近くの歌舞伎町にラブホテルが建設され、かつての売春関係者がこの街に大流入してきたのだ。

電話で呼ぶ「コールガール」、「立ちんぼ」が歌舞伎町に登場したのも、この頃の出来事だ。

さらにラブホテル経営で成功した者などが、非挿入系の店舗型風俗を開設していき、70~80年代には、いまの状況に似た、まさに"東洋一の歓楽街"に変貌した。

特に80年代前半のバブル前夜には、のぞき部屋、ノーパン喫茶、ファッションヘルスといった新風俗が雑居ビルの中に次々と誕生した。キャバクラは池袋が発祥と言われるが、84年に歌舞伎町に進出。さらにテレクラ、性感エステなども一気に出来上がった。

こうしたなか、85年に新風営法が施行され、営業が午前0時までと規制されると、風俗店は早朝営業などで対抗。91年のバブル崩壊、03年の新宿浄化作戦などにも逞しく対応してきた。

05年の改正風営法では逆にデリヘル業が正式認可されたことから、従来の店舗型業者の多くがデリヘル業に転じた。

その結果、歌舞伎町でも風俗店舗が減り、窓口となる風俗案内所が出現。また、プレイ場所となるレンタルルームなどが目立ってきている。

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