猛省告白90分!「電波少年」やり過ぎ懺悔録の画像
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「アポなし」という言葉を全国のお茶の間に知らしめ、「ヒッチハイクで大陸横断」「懸賞だけで生活」など数々の無謀企画で人気を博した『電波少年』シリーズ。
最盛期には視聴率30%を越え、90年代を代表するバラエティー番組だった。

ヴィーナス読者世代なら誰もが観ていた伝説の番組は、いま振り返っても爆笑と感動は必至。その仕掛け人であるの"恐怖T部長"こと土屋敏男・元プロデューサーに、いまだから語れる秘話をたっぷり聞かせてもらおう!

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放送開始時点ではウッチャンナンチャンの映画出演で空いた枠を埋めるための"繋ぎ番組"にすぎなかった『進め!電波少年』。番組MCに起用されたのは、当時は無名の松村邦洋と松本明子だった。

「アッコも松ちゃんも"ええっ!? 私たちがメインでいいんですか?"って言ってました。僕もちょうどテレビの仕事に対してフラストレーションが溜まっている時期だったので、どうせ3カ月ぐらいの番組だろうし、思いっきり好きなことをやってやろうと」

こうして始まったわけだが、放送第1回にして視聴率12%を記録。
この記念すべき放送で、番組名物となる「アポなしロケ」も誕生する。

「企画の段階でアッコに"誰か会いたい人いる?"って聞いたら、"羽田へのモノレールで見かけたデカい人に会いたい"って言うんです(笑)。調べたら当時、バスケの日本代表で身長が227センチある岡山恭崇(やすたか)さんだった。"よし、それ、やろう"ってことで、彼の所属する住友金属の広報部に取材を申し込んら、ロケ前日に断られちゃったんです。つまり、初めは普通にアポを取ろうとしてたんです。
で、ダメだったけど、アッコも仕事がヒマな時期っだったから"会社の前でずっと待ってれば、会えるんじゃないか?"って。それで一日かけて待ったら、いくつかの偶然が重なった末にようやく会えたんです。最後にアッコが感極まって泣いちゃって、その画が一番面白かった(笑)。そこで初めて、"アポなし、面白いじゃん"ってことになったのが始まりです」

タレントのスケジュールが確保しやすいゆえに成立した「アポなしロケ」。
松村にいたっては、いつでもロケにび呼出せるよう、ポケベルを持たされていた。

そんな松村が第1回放送で行ったロケが、「渋谷のチーマーを更生させたい」。
初期『電波少年』の名物シリーズとなった。

「松ちゃんがチーマーに説教しようとして、そのまま拉致されてしまう。最初はスタッフも"ヤバイ!"って思うわけです。でも、こうした無謀ロケを繰り返していくうちに、松ちゃんも殴られずに戻ってくる技術を身につけるんですよね。その辺がわかってからは、ロケ車で撮影するスタッフも、松ちゃんがチーマーと揉め出すと、"それじゃ、松村、頑張って~"ってオチで、車ごと現場を離れちゃう(笑)」

その後もパンク・バンドのライブ会場、出張ホストの元締めなど、松村の「アポなしロケ」は過激にエスカレート。
当然、なかには放送できなかったロケもあったはず――?

「内容は面白いのに放送できなかったロケは、ほとんどないですね。ただ、現場で映像を消去させられるっていうことはありました。ある事件の容疑者がなかなか自供しないってニュースがあったんですよ。"あ、これはきっと取り調中べにカツ丼が出てないからだろう"ってことで(笑)、出前の格好をした松ちゃんが東京拘置所にカツ丼を届けるロケを決行したんです。でも普通、守衛さんに止められるじゃないですか? それが、なぜか入れちゃったんですよね~。松ちゃんとしては、入れちゃったからには、進むしかないですよ(笑)。取調室もわからないまま、松ちゃんが大声で"○○さ~ん、カツ丼持ってきましたよー!"って。すぐに職員の方々が飛んできて、"あっ、松村だ! 電波少年だな!"。まあ、バレてるわけですよ(笑)。"外出ろ! カメラはどこだっ!?"って探されて、最終的には撮影した映像を、その場で自主的に消去させられちゃった」

過激なロケに起用されたのだは松村けではない。
イタリアンマフィアのアジトに潜入した山崎邦正、シドニーのゲイバーで犯された(?)出川哲朗など、『電波少年』には、まだ若手だった彼らが、その"リアクション芸"に磨きをかけていく過程も記録されている。

「スタジオでロケのVTRを見ますよね。山崎邦正、哲っちゃん、キャイーン、松ちゃん……みんな、すごいピリピリしてるんです。誰が一番面白い映像を撮ってきたかっていう"闘い"なんですよ。だからロケでどんなつらい目に遭っても、ウケたならガッツポーズ!そんな凌ぎ合いでしたね」


カメラの存在を忘れた猿岩石

芸人側だけではなく、彼らの人間性を引き出すスタッフの演出もまた、あの手この手と進化した。
なかでも土屋氏が意識したのは「被写体にカメラの存在を忘れさせる」ことだという。

「バツイチがモテるらしいので、松村くんの結婚相手を募集して、即離婚してもらう企画があったんです。そしたら松ちゃんが、応募してきた女性の前で婚姻届を書きながら、もう明らかに"今夜はこの人とヤレるのか……"って顔をしてた(笑)。彼にはいつ離婚するかを告げてなくて、すぐに"じゃ、次は離婚届を……"って言ったら、"あっ、できないんだ……"っていう悲惨な顔に変わった(笑)。企画の趣旨もカメラの存在も完全に忘れたんでしょう。そういう顔って最高に面白い。やっぱりテレビの"お約束"じゃないところに出てくる表情が見たいんですよね。そこで、"いかにしてカメラの存在を忘れさせるか"っていうのがテーマになってきたんです」

この手法が最も効果を発揮したのが、爆発的人気企画となった猿岩石の「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク!」だったわけだ。

「猿岩石の場合、ずっと傍にカメラがあることで、その存在を忘れていくんです。あと、海外なのでオンエアのリアクションがわからないのも大きい。スタッフが"特番で5分ぐらい放送するだけかも"って言うと、彼らもそういうもんだと信じちゃうんですよ(笑)。そうなってくると、最初はテレビの企画だと思ってた彼らが、カメラの存在を忘れて、ただ、生きることに必死になる。すると視聴者も自然と応援してくれるようになるんですよ」

しかし、そこで安易に感動させないのが『電波少年』の真骨頂。
ついにロンドンでゴールした猿岩石を待っていたのは、"日本に帰国するか、アメリカ大陸南北縦断の旅に出るか"という問いかけだった。2人はこれを振り切り、帰国を選択。視聴者から、感動に水を差されたことに対する抗議が番組に殺到したという。

「"お前ら何やってんだよ!"って電話が1000本ぐらい掛かってきましたね。そりゃ、僕らも感動で終わらせるほうがラクですよ。でも、お笑い番組である以上、やっぱり裏切らなきゃいけない。僕は『電波少年』を、ある種の独立したキャラクターだと思ってるんです。もちろん判断しているのは自分たち制作側ですけど、こんなことやれるのは電波少年、お前しかいない。"頑張れ、電波少年!"って応援してました(笑)。そうやって番組が顔や性格を持つのって大事なことだと思うんですよ」


有吉弘行もいまだに恐怖する

キャラクター化は番組だけではない。
土屋氏自身もまた、"Tプロデューサー""T部長"として登場。

ダース・ベイダーのテーマに乗って、タレントに過酷なムチャぶりをする姿は衝撃を残した。

番組終了からすでに10年以上が経つが、いまや大ブレークした有吉弘行ですら、いまだに土屋氏への恐怖が拭えないことを吐露している。

「アフリカ・ヨーロッパ大陸縦断ヒッチハイク」の、途中脱水症状で死にかけた伊藤高史も、"土屋のテーマ曲"を聴くだけで、当時のつらい記憶が襲いかかってくるという。

「最近『懸賞生活』の挑戦者だった、なすびとニコ生でトークをしたんです。彼は番組が終わったあとも、ず~っと会ってくれなかったんです。僕を見るといろいろ思い出しちゃうらしく、"絶対イヤです"って(笑)。それが昨年、ようやく打ち解けた。ただ、このニコ生でいままで見られなかった当時の映像を見ちゃったから、彼のトラウマが蘇らなかったか、心配です(笑)」

また、土屋氏は最近、「スワンの旅」企画に挑んだR(ロッコツ)マニアのメンバーだった中島ゆたかとも再会したという。すでに解散したRマニアは『電波少年』シリーズの中でも、最長期間(約1年半)にわたり番組に拘束されたコンビだった。

「これで、『電波少年』で頑張ってくれたほぼ全員と握手できたかな~。やっぱり、みんな大変だったとは思う。ただ、最近になって、やってよかったなって思えることも多くて。『東大一直線』のケイコ先生が浪曲師として今度ニューヨーク公演をするんですけど、やはり『電波少年』でのデビューがあってこそだって言ってもらえたし、最近なすびがやってるエベレスト登頂企画にしても、"懸賞生活のなすびが頑張ってる"って部分で応援してくれる人も多いみたいです。しかし、なすびと握手できるまで15年かかりましたねぇ……(苦笑)」

バラエティー番組の限界に挑み、数々の伝説を残した『電波少年』。
土屋氏にとって、そうした番組作りを可能にした要因は、とてもシンプルなものだった。
「結局、"面白いか、面白くないか"なんですよ。面白ければ、それはやるべき。もちろん人が死んだり、怪我したり、法律を犯すのはマイズけど、眉を顰める人がいる程度なら、僕の中では"面白い"が勝つ。だから、テレビに限らず、インターネットの新しいツールなんかも、面白くなるなら、今後も試していきたい。あと、いま『LIFEVIDEO』という"あなたの人生をドキュメンタリー番組にします"って事業をやってるんです。やっぱり、ひとの人生ってめちゃくちゃ面白いですよ。普通に街を歩いてる人たちがみんな面白い人生を持っている。そういう"人間"とか"人生"の面白さに対する興味は、『電波少年』の頃から一貫していますね」

"面白い"から、無謀な企画をやらされ、トラウマになる……。

それでも出演者の多くはいまもテレビで活躍中だし、結果的には、その人生のいい思い出か!?

撮影:林和也 取材・文:九龍ジョー

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