02年9月21日、日本のヤクザが中国マフィアに射殺されるという衝撃的な事件が発生した。この通称・パリジェンヌ銃撃事件は、一般客も多数利用し、歌舞伎町のシンボルとも言える中心部の大型喫茶店「パリジェンヌ」で、まだ人通りも多い午後7時頃に起きただけに、当時、世間に与えた影響は計り知れない。

90年代、青龍刀事件など過激な抗争を繰り広げていた中国マフィアは、この頃になると東北系が最大勢力となっていた。

その東北系中国マフィアと、シノギ絡みのトラブルを抱えていたと言われる住吉会系の組員が、事件当日、「パリジェンヌ」で話し合いの場を持っていた。

話し合いが決裂したのか、中国側がテーブルに拳銃を置き、「撃ってみろ!」と挑発。組員側の1人が、その拳銃に手をかけた瞬間、中国側の1人と、近くにいた仲間4人が拳銃を取り出し、一斉射撃。組員側の1人が即死、1人が重傷を負った。

歌舞伎町にはバブル期、最大約200の組事務所があり、2000名以上のヤクザが闊歩していたとされる。中国マフィアが台頭してきたといっても、ヤクザの数に比べれば、たかが知れていた。当初は利権がバッティングすることもなかったことから、ヤクザも警察も長らく見過ごしていた。加えて、92年施行の暴力団対策法がヤクザの動きを、さらに鈍くしていた。外国人とトラブルを起こせば、割を食うのはヤクザのほうだからだ。

しかし、この頃にはバブルは崩壊し、利権争いが起き始めていた。そんななかで起こった事件。これを機に警察はむろん、ヤクザも大同団結し、徹底した中国マフィアの排除に乗り出す。

10月には、主犯の運転手を務めた中国人が新宿区上落合の路上にて、全身14カ所以上の刺し傷を負った惨殺死体で発見された。

この報復事件では、住吉会組員5人が指名手配され、逮捕に至った。また、歌舞伎町の多数の中国人クラブに、米軍で使用される催涙ガスが投げ込まれるという異臭事件が起きた。

なお、警視庁は銃撃した中国側の8人を逮捕。主犯も03年3月にマカオに入国しようとしたところを、中国当局に拘束されている。

この事件を機に、歌舞伎町の中国勢力は一掃され、ナイジェリアマフィアが台頭し、さらには浄化作戦へとも発展していく。歌舞伎町の大きな歴史の転換点とも言える事件だったのだ。

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