再審請求が決定した袴田事件など、近年、極刑が確定した死刑確定囚が、囚われの身から解放されるケースが立て続けに起きている。

事件と何ら関係のない無実の人が、予断に基づいた過酷な取り調べで自白を強要され、死刑を言い渡される。
こうした許されざる冤罪事件が続いたことで、にわかに注目を集めているのが「死刑囚」と呼ばれる人たちの存在だ。

今回、本誌は長年、刑務所や拘置所に刑務官として勤務し、死刑囚とも向き合ってきた坂本敏夫氏に話を聞いた。
知られざる「死を待つ者の日常」とは――。
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今年3月27日、静岡地裁が死刑囚・袴田巌さん(78)の再審開始を決定し、同時に刑の執行と拘置の停止を決定した(検察側が即時抗告)。
姉の秀子さん(81)に付き添われ、東京拘置所から姿を現した袴田さん。
再審で無罪を勝ち取るまで法律上は「死刑確定囚」なのだが、逮捕から48年(死刑確定からは34年)ぶりの"シャバ"だった。

「袴田さんとは、死刑が確定する前から何度も親しく言葉を交わしています。昭和54年から59年までは法務省の事務官として死刑囚処遇や刑務官の待遇改善に関する調査研究をする機会に面接をし、昭和63年秋から看守長として赴任し、処遇に関わりました。袴田さんとの初面接の印象は、ひと言で言うなら"好青年"でした。よく勉強もしていて、法律など学ぶ機会がなかった彼は"無罪放免を勝ち取るには自分の力で!"と思っていたんですね。その決意を聞いて、まさにプロボクサーとしての心構えだと、感心したものです。本当に、この人が一家4人(勤務先の上司家族)を殺害したんだろうかと疑問を持つというより、人を殺せる人間ではないと確信めいたものを持ちました」(坂本氏=以下同)

釈放時、テレビに映った黄色いシャツ姿の袴田さんをご記憶の方も多いだろうが、表情に乏しく、釈放の喜びも感じられなかった。

自由を拘束され、死刑執行の恐怖に怯える状態が長く続いたことで、精神が不安定になる「拘禁(こうきん)症状」が悪化していたという。
なぜ、そんな症状が出てしまったのだろうか。

死刑囚は、刑務所ではなく拘置所で、刑が執行されるその日を待っている。
彼らが収容されているのは、札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、広島、福岡にある拘置所(札幌、仙台は拘置支所)。

14年5月現在、わが国の死刑確定囚は130人おり、収容者数は東京拘置所がその半数近くと最も多く、以下、大阪、福岡、名古屋の各拘置所が続く。

死刑囚が起居する独居房は4畳弱。
流し台、便器、寝具、机など、生活に必要最低限の設備に加え、食品など個人で購入する房内所持品が一定の範囲で認められている。

「死刑確定囚には、健康でいてもらわないといけません。矛盾しているんですが、拘置所では死刑執行命令が出るその時に備えて、死刑囚を"心身ともに健康な状態"に保っておかなければならないんです。自殺をしてしまえば、刑の執行ができなかったことになる。ですから、自殺、自傷、逃走など事故防止のため、天井に設置されたカメラで24時間監視します」

拘置所では起床から就寝まで、すべてにおいて時間が決まっている。
施設によって多少異なるが、朝7時起床、7時半点検、7時40分朝食、11時50分昼食、16時20分夕食、16時50分点検。
21時就寝となる。

健康維持のため、戸外運動と房内体操の時間も設けられている。
戸外運動は夏季が週2回、その他は週3回で時間は30分程度、コンクリートの壁に囲まれた狭い空間で柔軟体操やランニング、縄跳びなどを行う。

入浴は夏季が週3回、その他は週2回で、ひげ剃りも含め15分以内だ。
「独房では座っていることが義務づけられ、室内を自由に動くことは許されません。むろん、隣の房の人間と話す"通声"は厳禁です。刑務所の受刑者に科される刑務作業はありませんが、希望する者には室内で座ったままできる軽作業(外部業者との契約による作業)が許可されます。デパートのショッピング紙袋作りのような簡単な作業です。出来高払いで1つあたりの単価は内職と同じで微々たるもの。報酬は月数千円というところですね。単純作業ですが没頭することによって、死の恐怖を忘れられるのでしょう。一生懸命取り組み、材料切れになることもしばしばです。単調な日々の中で、作業は死刑囚の精神を安定させる効果があると思います。今の東京拘置所は窓の外は回廊で景色も見えず、人と会話をすることも許されない。日々の変化といえば、食事のおかずぐらいですから」

死刑が確定して執行されるまでの期間は短い場合で1~2年、平均で7~8年となっている(ただし、袴田さんのように冤罪の疑いのある人、あるいは再審を請求しているケースの中には、30~40年と長期収容に至っている人もいる)。

人との触れ合いや変化のない生活の中で、死を待つだけの単調な生活。
結果、心のバランスを崩し、拘禁症状が出てくる者も多い。


つい首に視線がいってしまう

一方、死刑囚を監視する立場の刑務官にも苦しい胸の内があるという。
「死刑囚といえば、凶悪で凶暴というイメージでしょうが、実際に接すると、"この男が、本当に人を何人も殺すような事件を起こしたのだろうか"と思うような、おとなしい人も少なくありません。刑務官になったばかりの頃は、これが一番のカルチャーショックでした。経験を重ねると、一定の法則があるように思わざるをえない現実に心を痛めました。つまり、死刑と懲役の分かれ目はカネと能力であると。本当に悪い奴の多くは死刑にはなっていない。経済的に恵まれている者もしかりです。素直でおとなしく、取り調べをうまくかいくぐる話術も知識も持っていない者が自白させられる。おまけに、おカネがなければ私選の弁護人をつけられない。結果は目に見えています」

死刑囚はいつ来るかもしれぬ死を待っている。
冤罪被害者を別にすれば、自らが犯した罪と被害者やその遺族に対する償いであり、逃れられるものではない。

だが、死刑囚といえども一人の人間だ。刑務官として日々、彼らと接する中で自然と"情"が生まれると言う。

「目を合わすときは穏やかな表情にし、言葉を交わすときは気軽に雑談をするような雰囲気を保ちます。死刑になるかもしれないという不安を感じさせないようにするんです。それでも、どうしても視線がね、つい首にいってしまうんですよ。死刑の時に縄をかけますから……。房の出入りの際は、必ず両手で衣服の上から物を隠し持っていないか、触身の検査をします。生きている証の温かい体温を感じるんです。堪(たま)らないです。今でも、この手は20年以上前の温もりを覚えています」

死刑執行は、拘置所内においても"特殊な勤務"だ。
所長をはじめ幹部職員のほか、選定された刑務官十数名が執行の任に当たる。

「刑務官である限り、死刑執行を命じられたら受けなくてはならないんですが、誰もが最も嫌がる仕事です。それはそうでしょう。矯正職員として犯罪者の更生を支援する職に就いたはずなのに、人を殺す仕事は想定外ですから。どんな極悪犯であっても、改心させる努力をし、あげくの果てに、その者の命を奪う。非常に辛い仕事です」

日本における死刑執行件数は12年度7件、13年度8件。
死刑だけは唯一、法務大臣の命により執行されるが、具体的には法務大臣の公印が押された死刑執行命令書が高等検察庁に送られる。

同時に拘置所長に、その旨の通知があり、死刑の準備が始まるのだ。

「かつては、執行前日または前々日に死刑囚に告知していたんですが、いまは直前まで明かしません。大きく取り乱したり、自殺されてしまったりすると困るからと当局は説明しますが、そのとおりです。集団処遇をしなくなってから、死を迎えるための処遇がおろそかにされ、そのうえ拘置所長はじめ幹部職員の多くが死刑囚との面接を避けている。信頼関係も構築していないから自殺などの事故を回避する自信がないのです。死を迎える直前の処遇は、ある意味、武士の情けのようなもので、家族との最後の面会とか、遺書を書く時間を十分与える。あるいは最後の晩餐(ばんさん)の配慮ぐらいは、やるべきだと思います。執行当日の朝は、無言で死刑囚を連れ出します。死刑囚にとっては騙し打ちのような形になっています。死刑は基本的に午前中に行われるため、その時間、死刑囚は刑務官の挙動に非常に敏感です。午後になり、今日は何もないとわかると、舎房の空気がホッと弛むのがわかるほどです」

実際の死刑はどのように執り行われるのだろうか。
10年8月、報道機関に公開された東京拘置所死刑場をもとに解説してもらった。

「執行当日の朝、8時過ぎに、死刑囚を独房から連れ出します。暴れたりしないよう、注意を払います。騒ぎになれば他の死刑囚に動揺を与えますから、"ちょっと医療室に行こう"と言うこともあります。舎房からエレベーターで地階の死刑場エリアに連れて行き、まずは所長またはその代理者の言い渡しを行うために教誨(きょうかい)室に入室させます。祭壇があり応接セットが置かれています。この部屋で検察官が持参した死刑執行指揮書を読み上げ、死刑の執行を言い渡します」

続けて遺書を書かせたり、死刑囚によっては教誨師(拘置所が委嘱した僧侶や牧師などの宗教家)から最期の教誨を受けたりする。

「その後、『前室』と呼ばれる控えの間へ。正面に祭壇が置かれたこの部屋で、
粛々(しゅくしゅく)と執行の準備が行われます。読経または祈りの声が響く中、死刑囚に目隠しをし、手錠を後ろ手にはめ、隣の執行室の刑壇(踏み板)の上に移動させます。ここで、2つの作業を、ほぼ同時に速やかに行います。首に直径3センチのロープの輪を固定することと、膝下10センチほどの位置で両足を捕縄という直径1センチほどの縄で固定することです。この2つが完了すると同時に、指揮官は刑壇を開かせる電動のスイッチを押すよう命じます」

執行ボタンと言われているスイッチの押しボタンは3つあり、3人の刑務官が指名される。
通電されているのは1つだが、事実上の殺人ボタンを押したという精神的苦痛を3分の1に軽減しようとする配慮らしい。

だが、坂本氏によると軽減というより、3人が「最後のボタンは俺が押した」と同じ苦しみに苛(さいな)まれるという。

つまり、苦痛は3人分になっているのだ。


死に至るまでの辛く長い時間

執行の瞬間は轟音が響き、ロープの弾性で死刑囚は大きく跳ね、断続的な痙攣(けいれん)が起き、嘔吐(おうと)物が口や鼻から噴き出すこともあるという。

「刑務官はこの様子を見つめるわけですが、死に至るまで、痙攣が収まり、動かなくなる時間は本当に長く感じます……」

刑の執行は非公開。
刑務官には守秘義務があり、"塀の中の死"の実態は表には出ない。
一方で、そうした秘密主義には批判の声もある。

「最後まで贖罪(しょくざい)の意識がない者がいる一方で、死刑が確定してから執行されるまでに教誨師、刑務官、家族といった人たちの影響で、あるいは学問に目覚めて読書や教材による学習で、大きく変わる死刑囚が少なからずいます。彼らは自分の罪を悔悟(かいご)して、心から被害者遺族に対する謝罪の気持ちを持つようになります。死刑による償いを素直に受け入れるんです」

執行にあたった刑務官に「執行するのはこのうえなく悲しかった。しかし、この手で送ることができて幸せだった。そう思わなければ、とても耐えられない」と言わせるほどの"善人"になった死刑囚もいたという。

安倍政権は定期的な死刑執行をし、制度の堅持の強い姿勢を見せている。
死刑制度に対する正しい議論を起こすためにも、まずは死刑囚に関する情報を広く開示することが必要なのではないだろうか。

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