大名が1年ごとに出府する参勤交代が制度化されたのは、三代将軍・家光の時代。
この制度ができたことで、江戸の町の様子も変わります。
国元と江戸の二重生活を強いられた大名が、まず確保しなければならないのは江戸での住まい。
ということで、大名屋敷の建設ラッシュが始まりました。
自らの力を誇示するためでしょう。
大名たちは競うように、大きく豪華な屋敷を建てました。
1万~2万石の大名は2500坪、5万~6万石は5000坪、10万~15万石は7000坪など、屋敷の広さは石高によって決まっていました。
しかし実際には、それを上回るものが多かったようです。
しかも、屋敷は一つではありません。
上屋敷、中屋敷、下屋敷と、いくつも作られました。
上屋敷は大名と正室、嫡子(ちゃくし)の住居。
中屋敷は元大名の隠居所。
下屋敷は別荘や庭園。
江戸のあちらこちらに、広大な屋敷が出現しました。
現在、それらの屋敷跡には別の施設ができています。
たとえば迎賓館は紀州藩の、東大本郷キャンパスは加賀藩の上屋敷でした。
では、彦根藩の下屋敷があった場所の今は?
1.明治神宮
2.新宿御苑
3.国立印刷局
答え :1 2は高遠藩の下屋敷、3は佐賀藩の中屋敷だった。
出題:浜川卓也