老舗和菓子店 駿河屋「お家騒動」の画像
老舗和菓子店 駿河屋「お家騒動」の画像

練りようかん発祥の店ともいわれている日本屈指の老舗和菓子メーカー「駿河屋」(和歌山県)が今年5月、全ての事業を停止し破産手続を行っていることがわかった。これまで、西日本を中心に直営店や百貨店などでようかんや饅頭を販売していたが、その製造を取りやめ、パートを含め200人を超える従業員も全員解雇されることとなった。創業550年、和歌山県で最も古い歴史をもつ和菓子メーカーがなぜ倒産に追い込まれる事態となったのだろうか。

駿河屋の初代店主が京都に店を構えたのは室町時代のこと。江戸時代初期に紀州藩の「御用菓子屋」として初代藩主、徳川頼宣とともに紀州和歌山へと移転した。紀州藩の名勝地を描いた『紀伊国名所図会』には駿河屋の看板商品「本ノ字饅頭」についての記述が残っており、藩の発注で作られた落雁の木型も現存している。

紀州藩とともに歴史を歩み、和歌山市の「駿河町」の由来にもなった老舗中の老舗だが、企業としての設立は昭和19年のこと。それ以降の道のりは決して平坦とはいえなかったようだ。
昭和60年、グリコ・森永事件の犯行グループの標的となり5000万円を要求する脅迫文届いたことでも知られており、平成15年には上場を維持するため架空増資に手を染め、創業家出身の社長が逮捕される事件も起きている。

架空増資事件後の平成17年には上場が廃止されブランドイメージも大きく低下、加えて和菓子の長引く需要低迷が仇となり、自力経営が立ちいかなくなった。今年1月には民事再生法適用を申請し、スポンサーを募るなどして再建を試みたが、最終的に事業停止になってしまった。

和歌山県の風土を研究する学者は「駿河屋が破産すれば、失うものはあまりにも大きすぎる。老舗は長年続いてきた地域の文化そのもの」と話す。歴史を証言するのは何も資料や建造物だけではない。脈々と受け継がれてきた伝統の"味"が途絶えてしまうのは、あまりにも惜しいことだ。

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