日常会話で「悪役」という存在を何かで例えるとしたら?

「最近はわかりやすい悪役がいないからわからない」。ヨメは考えながら「ジョーカー」の名をあげた。『ダークナイト』(2008年)でヒース・レジャーが演じた役柄のことだ。

では年配の人にもまんべんなく伝わる悪役は誰だろう。

雑誌「ナンバー」858号(7月31日発売)の高校野球特集を読んでいたら、「我ら勝利主義者として」という企画で「高嶋仁(智弁和歌山)×馬淵史郎(明徳義塾)」の監督対談が載っていた。

夏の甲子園史上、最も多くの勝利を挙げている高嶋と、平成年代以降では高嶋に次ぐ白星を誇る馬淵。馬淵は明徳義塾の監督二年目の1992年に「松井秀喜、5敬遠」を指示して「世紀の悪役」になった。

馬淵は対談のなかで高嶋に《私のような「高校野球界のデストロイヤーかタイガージェットシンか」と言われている人間と親しくしていただいて》と感謝している。

デストロイヤーとタイガージェットシン。ふたりが活躍した時代は60年代から80年代まで長いタイムラグがある。逆に言えばこの期間はテレビを通じてプロレスは「悪役配給」を一般世間の人々に提供していたとも言える。プロレスの悪役力のすごさを垣間見た「会話」であった。

さて、その馬淵はこの対談で《僕は、野球の作戦に「好き嫌い」の個人差はあってもいいけど、「良い悪い」はないんじゃないかと思っているんです》と語っている。悪役哲学ともいってもいいこの腹のくくり方は、青春とか聖地とか夢とか美辞麗句で仕上げられている高校野球とその報道体制のなかでは「プロ」として目立つ。

《6月いっぱいはメチャクチャ追い込みます。選手は6㎏も7㎏も痩せて、頬がこけて。それでも目つきだけがギラギラしているような奴が、夏の大会で活躍するんですよ。》(馬淵)

7月に入れば期末テストがあるから少し練習を落とすという。それが調整になるという。他と考え方が違いすぎる気がする。

馬淵監督率いる明徳義塾は今年の夏も甲子園にやってくる。5年連続。きれいごとが多い世界での「リアルな悪役」にやはり注目だ。

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