マザコン男は恐ろしい
一般的には、マザコンは通常は母親に溺愛された結果、男子として自立できない場合に形成されることが多い。明らかに信長の場合はその反対で、母親に溺愛されることなく、無視に近い形で育った事により形成された性格だった。つまりもうひとつのタイプ……母の愛情不足型マザコンの典型だろう。具体的には、以下のようなことだ。
①思い通りにならないと、感情を爆発させる
信長の性格の激しさはつとに有名で、岐阜城時代には、内務をサボッて遊びに出掛けたりした用人を叱りつけ、その場で首を刎ねてしまうことがよくあった。本願寺攻めの時などは、天王寺砦で敵軍に囲まれ、自軍のふがいない戦いぶりに感情を爆発させた信長は、先頭切って単身で敵軍に突入し、家臣を慌てさせた。
②自分が一番だとの意識が強く、自分の意見だけが絶対だと思っている。
信長は家臣の意見には無頓着だった。桶狭間合戦の前には、信長は重臣たちにさんざん戦評定をさせたのだが、結局は誰に相談することもなく出撃をきめ、結果的には見事な奇襲攻撃の大勝利となった。これ以降ほとんどの作戦で、信長は自身の決断だけを優先させていくことになる。
③服装や身の回りのものにこだわり、奇抜な格好をすることも何の不自然もなく受けいれる。
うつけ者といわれた時代の信長の奇抜な装束にその例を見ることができる。以後も南蛮装束を取り入れてみたりと、信長の奇抜な格好は数多い。
④他の人に失敗を指摘されるのを極端に嫌う。
越前に攻め込み、浅井長政の離反によって敗戦した時などは、誰も信長に意見できなかったと伝えられている。
このように見てくると、信長はマザコンの資質を多く持っていたことが理解できる。世にマザコンと呼ばれる男は多いが、歴史に名をなすこともあるのだから、捨てたものではないかもしれない。