ひとりの女性をめぐり、男性32人が殺人・傷害!?

夏休み特集 世界を震撼させた未解決事件の真相

CASE2 アナタハン島事件 1944~52年 日本

太平洋のド真ん中、サイパンの北約100kmの地点にアナタハンという孤島がある。この島で60年前、32人の男たちが本能をムキ出しにして殺し合う事件があった。

争いの原因は、島にたったひとりしかいない女を、自分のものにするため。

太平洋戦争末期の1944年、海軍に徴用された日本の漁船がサイパン付近を南下中、米軍機の攻撃を受けて沈没。海に投げ出された乗組員が漂着したのがアナタハン島だった。

島には日本企業が経営するヤシ農園があり、経営者の男と、愛人の比嘉和子(24歳)が暮らしていた。原住民は日本の敗戦が濃厚になると逃げ出し、島には32人の男とひとりだけの女が残された。

最初のうちは、生き残るために全員が協力した。食料確保が最優先とされ、手分けして畑を耕し、狩りに出て獲物を探した。

とりあえず食欲の不安が解消されると、33人の共同生活に微妙な変化が現れるようになった。男たちの、和子を見る目が違ってきたのだ。

そしてある日、山中に墜落したB29の残骸の中から、AとBの2人組が拳銃を発見。ここから、事態は一気に動き始める。

まずA、Bと対立することの多かったCが変死した。続いて2人は和子と農園経営者を脅し、間に割って入る。つまり、和子を3人共有の愛人にしたわけだ。

しかし、やがて仲間割れが起こり、AがBを射殺。恐れをなした経営者は身を引き、Aが和子を独占した。
3カ月後、今度はAが海に落ちて変死。拳銃を手に入れたDが経営者を撃ち殺し、和子の男になった。

そのほかの男たちも、なんとか和子をモノにしようと暗躍。争いは絶えず、何人もが死んでいった。D自身も何者かに殺されてしまう。

もう理性もヘッタクレもない。共同生活をスタートさせたとき32人いた男は、19人に減っていた。

さすがに、このままではマズイと思ったのだろう。生き残った男たちが集まり、今後の対応が話し合われた。そこで出された結論は、
「元凶は和子だ。あの女がいなければ、こんなことにはならなかった。和子を殺して争いを終わらせよう」
ムチャクチャである。

危険を察知した和子はジャングルに逃げ込んで隠れた。そして33日後、島に近づいた小笠原の漁船に助けを求め、救助された。1950年6月のことだ。戦争はとっくに終わっていた。

男たちが帰国したのは、それから1年後。マスコミは世にも不思議なアナタハン島事件を大々的に取り上げた。和子は一躍全国的な有名人になり、島での出来事を取り上げた映画や芝居になんと自ら主演したのだ。

一方、男たちはマスコミを避け、多くを語ることはなかった。

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