“世紀の芸術品”と呼ばれた巧妙なニセ千円札!

夏休み特集 世界を震撼させた未解決事件の真相

CASE5 ニセ札チ-37号事件 1961~63年 日本

「ニセ札史上最高の芸術品」。
なんだか変な表現だが、そういわれるほど完成度が高いニセ札だった。昭和30年代後半、千円札の肖像が聖徳太子だった頃に出回った「チ-37号」である。

「チ」は千円札を意味する警察の符号。「37号」とは、37番目に起きたニセ札事件という意味だ。誰が作ったものかは、いまも分かっていない。

初めて見つかった場所は日本銀行秋田支店。廃棄される予定の紙幣をチェックしていた係官によって発見され、大騒ぎになった。

ここまでやってくる札は世の中で使い古され、市中銀行が「もう寿命」と判断したものだ。つまり一般人はもちろん、銀行員の目さえ、何年にもわたって欺き続けていたことになる。そんなニセ札は過去にはなかった。

鑑定した専門家たちは、「真券よりわずかに薄く、ツルツルした感触がある」と語った。だがそれは、真券と触り比べて分かる程度の違い。ニセ札を単独で見れば、プロでも間違える可能性が高いと認めた。それほどの完成度だった。

しかも犯人は、報道されたわずかな欠点を短期間で修正する能力を持っていた。年が明けるとナンバーを変え、数字のわずかな曲がりを直した新しいニセ札が見つかった。

こんなことができるのは、高度な印刷技術を持ち、大掛かりな印刷設備を扱える者だけである。犯人の絞り込みは比較的楽なように思えた。
ところが、コトはそう簡単ではなかった。懸命の捜査にもかかわらず、犯人の姿はまるで見えてこなかった。

焦った警視庁はニセ札発見者に3000円、逮捕につながる重要な情報には100万円の懸賞金を出すと、当時としては異例の発表をしている。
大卒の初任給が1万3000円の時代だ。100万円といえば目のくらむ大金。それでも、有力な情報は得られなかった。

警察が色めきたったのは昭和38年3月。静岡県の清水市と静岡市で、相次いでニセ札を使った男が目撃されたときだった。

「30歳くらいで髪は7・3分け。丸顔で一見、いい男ふう」
静岡署の動きは早かった。その日のうちに、「非常事態宣言」を発令。総力を挙げて、あらゆる交通機関や道路を検閲し、徹底した聞き込みと職務質問を行なっている。

だが、結局は徒労だった。
唯一の収穫といえるのは、目撃者の証言からモンタージュ写真ができたこと。写真は全国に公開された。

これをきっかけに、事件は終息へ向かう。犯人は活動を停止。同年11月、伊藤博文の新千円札が発行。

343枚目のニセ札が見つかるのは、新千円札発行から3日後のことだった。これを最後に、以来1枚も発見されていない。

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