人生に役立つ勝負師の作法 武豊
小倉開催がある間に復帰します



みなさんにご心配をお掛けしたケガ(右手親指の骨折)も、順調に回復。この原稿を書いている時点ではまだ、いつとは言えませんが、なんとか小倉開催には間に合いそうです。

この1か月、病院での検査、骨折した箇所のリハビリ、トレーニング、イベントへの参加……と、結構、忙しく過ごしてきました。

でも、やっぱり騎手は、馬に乗って、レースに勝ってなんぼの職業。身体が、心が、レースでの緊張感や駆け引き、疾走感を欲している感じです。

復帰するときは100%の状態で、という気持ちに変わりありませんが、武豊がいないと小倉の夏は終わらない。そう言ってくださる競馬ファンの声に応えるためにも、一日も早く、僕がいるべき場所に帰りたいと思っています。

さて、早いものでこの連載も今回で94回目になりました。

そういえば、1回目は何を書いたんだろうと思い、資料をひっくり返してみると―。

ちょうど、「スプリンターズS」が行われる週。記念すべき第1回大会の優勝馬、僕に我慢を教えてくれたバンブーメモリーとの思い出を語っていました。

父モーニングフローリック、母マドンナバンブー。管理する調教師が、オヤジ(武邦彦元調教師)ということもあって、僕にとっては特別な一頭です。

裂蹄気味だったことからデビューはダート1200メートル(5着)。その後もしばらくダートでのレースが続き(15戦して3勝)、彼の良さを出してあげることができませんでした。

評価が一変したのは、初めての芝のレース、1989年4月8日に行われた「道頓堀S」(芝1600メートル)です。

不良馬場の中、前半脚をためたバンブーは、2着に5馬身差をつけての圧勝。芝3戦目となるGⅠ「安田記念」では、岡部(幸雄)さんに導かれ、10番人気の低評価を覆して、みんなをアッと言わせました。

オグリキャップにハナ差で敗れた89年の「マイルチャンピオンS」。最後の最後にパッシングショットの強襲に遭い、2年連続で涙をのんだ90年の「マイルチャンピオンS」……。

厩舎では、おとなしくてカワイイのに、一歩外に出ると、走りたくて、走りたくて、うずうずしているという感じで。彼との思い出を語りだすと、何時間でも話をすることができます。

そのバンブーが、今月7日、生まれ故郷の北海道浦河町のバンブー牧場で、静かに息を引き取りました。

亡くなったのはたまらなく残念ですが、29歳の大往生です。彼のことを愛してくれた多くのファンが、毎年のように牧場に訪れてくれていたことを思うと、幸せな馬生だった……そう思いたいです。

いつか、バンブーをツマミに、オヤジと飲み明かすのもいいな。彼は僕にそう思わせるサラブレッドでした。

さらば、バンブーメモリー……。


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