イラスト/グ スーヨン

「もう東京は放射能汚染でやばい状態なんだってさ」
「マジでっ?」
「誰かがつぶやいてた」
「ソース元は?」
「知らないけど」
「……」

「○○県の○○ちゃんが行方不明、拡散希望!」
「マジでっ?」
「FBのタイムラインに書いてあった、中学生なんだってぇ、怖いよねぇ、拡散してあげよう」
「いつの話?」
「いつかは分かんな~い、でも急いで拡散しなきゃ」
(この時点で、すでに無事保護されていた)

「殺処分される犬たちがいっぱいいるんだって、拡散きぼんぬ!」
「勝手に飼われて、勝手に捨てられたり、かわいそうだよね」
「だからさ、いっぱい拡散しなきゃ」
「なんだかイベントみたいだねぇ、それに、きぼんぬって…」
(お祭り好きな人たちの拡散パワーは驚異的だ)


もうね、いい加減に勘弁して!
なにがホントで、どれを信用して良いのか、サッパリ分かんねーよ!

それにね、問題のポイントがちょっとズレてるんですけどぉ…


子供の頃、愚痴を言うと、よく大人たちにこう言われたっけなぁ~
文句があるなら、方法を提示しろっ!
そんなに文句があるなら、
議員になって国会へ行って法律を作れっ!


みんなが大好きなSNSやネットの中だけに限らず、
そこらじゅうに膨大な情報が渦巻いている時代なんですけどね。
なんとなく、胡散臭いというか、モヤモヤっとしたムードなのは、オレだけかなぁ~

そもそもね、
事実というものは存在するのか?
どんな情報も、見た人や伝える人の主観が少なからず入ってしまうんだからさ。


この問題は、オレたちなんかより遙かに頭の良い学者の皆様が、何年も研究を続けておられますが、未だ確かなことは解明されてないんですね。
芥川を読んだり、映画を見た人はピンと来るよね。
(タイトルは言いません、自分で調べようよ)

いくつかの例を挙げましょう。
『誰もいない深い森の中で、大きな木が倒れた。
その木が倒れたことは誰も知らないので、それは事実と言えるのか?』
もっと言えば
『その時、誰も聞いていないのに、倒れる音はしたのか?』

もう一つ、現実にはありえないのかもしれないけど
『誰にも生まれたことも知られず、誰とも接触せずに生きている人がいたとします。
その人は、やはり誰にも知られずに死にました。
果たして、その人間は存在したのか? その人間はホントに生きていたか?』

放送されてるニュースさえも信じられない匂いがプンプンしてるのに、
SNSやブログあたりの情報なんてね~
ちょっと前にあったステマ騒ぎもあったしね~

膨大な情報をどう扱うのが、自分にとって有効なのか?
どう振り分ければいいのか?
次回からは、情報の仕分け方法を話しましょう。


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