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なるほど。麿さんは、公演ポスターなどでも、踊る、ということを“をどる”と表現されていらっしゃいますが、この表現にはどんな意味があるんでしょうか?

ひとりで解釈して出来たような、いわゆる”造語”みたいなのが好きなんですよ。
例えば、文字としては<お>より、<を>のほうが若い文字なんです。そういうのが昔からあるらしくて。まあ、後付けが多いんですけれど「~を、とる!」「世界をとる!」
そういう意味も入っています。吸収して、獲っていく、ということ。世の中の良いものも悪いものもどんどん取り込んで行くような器みたいなものです。
ものすごく反発するもの。うちの舞踏団では、人間なんてゴミだ、という教え方もあるから。
それをどうリサイクルするか、人間もゴミ、ベートーヴェンもゴミ、全てがゴミ。
そして最終的に”宝物”っていうのは自分自身で見つけるもんだ!っていう。


深いですね! 前回の舞台「ムシノホシ」を拝見したのですが、観る人の方に解釈をゆだねるような、いろいろな見ている方それぞれの観方を出来るような気がいたしました。

そうですね、主張がない、ともいいますが(笑)、「アナライズ ミー」、ってことですよ。委ねてしまう。供物の様な、生贄のようなもの。劇中で、自然界最後の砦みたいなものとしてある種大変な儀式がありましたでしょ。そういった世界が現代社会とどう拮抗していくか、という僕の主題みたいなものがあって、あとはそれをどう解釈してもらってもいいと思っているんですよ。
稽古はもちろん必要だけれど、ある種の神経が張っていると、むしろトランス状態でもやるべきことは自然にできちゃうものだと思います。まあ、そのための稽古ではあるんですが。
それにね、みなさんの想像力の方が広いんですよ、いまの世の中は(笑)。


そういえば、この前拝見して女の方が増えたような気がしたのですが。立ち上げ当初の大駱駝艦といまの舞踏団を比べていかがですか?

そうですね。いまは女性も多いですが、立ち上げ当初はまあ、男の泥臭いのばっかりだったね。時代的にも学生運動だとか、ある種アンチカルチャーの時代でしたから、どこか喰いっぱぐれたような連中が、抵抗精神のようなものをもって何かしたいっていう感じでしたね。単に舞踏がしたい、ということだけではない想いがあった。
僕の師匠土方巽は57歳で亡くなりましたから、僕自身、もうかなり師匠の年齢を越してしまいましたけれども、先日その「ムシノホシ」公演をやっていたときに腕に虫がとまったんです。そのとき、ああ、師匠が来たなあ、何を言おうとしているのかなあ、なんて思ってしまいました。すべてが絡め取られるような感覚の中で、踊りだけはそうはいかないぞ! という緊迫感を感じていたんです。みんな虫の世界に入り込んでますから、ある種マインドコントロール状態に入っていて、蚊に食われてるのに殺せなかったりね(笑)。そうやって舞台でつくりあげる世界観に入ることで、虫の視点でものを見られる、ちょっと違った目玉で見られる、そういう自分自身がオカシクなる、という面白さもありますね。
今回の舞台をして、基本的には彼ら(虫)のほうが我々人間よりずっと先輩だっていうこともわかりましたからね。何億年も前から虫はこの世にいるわけだから。人類なんてたかだか700万年くらいでしょ。“ハエが手をする足をする”っていうけど、あれも人と変わらない、”しぐさ”なんですよ。

 

 

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