人生に役立つ勝負師の作法 武豊
競馬にも「負けられない戦い」がある
サッカー日本代表戦のキャッチコピーではありませんが、人には誰でも、"負けられない闘い" "負けたくない闘い" があります。男だろうが女だろうが、子どもだろうが大人だろうが、そんなのは関係ない。気持ちで負けたら、勝負はそこで終わりです。
2005年9月18日、阪神競馬場で行われた秋華賞トライアルGⅡ「ローズS」(芝2000メートル)。伊藤雄二先生が管理するエアメサイアと挑んだ闘いは、まさにそんなレースのひとつでした。
その年に行われた春のクラシック初戦「桜花賞」では、ラインクラフトの前に涙を飲み(4着)、続く第2弾「オークス」では、優勝したシーザリオとクビ差の2着。
「惜しかったね」と言ってくれた人もいますが、最初はまだしも、2度目、3度目となると、その差は永遠に届かないほど大きなものに思えてきます。
――ここで負けるようなら次はノーチャンスや。
伊藤先生や厩舎スタッフ、オーナーやファンの方がどう思っていたかはわかりませんが、残る一冠、「秋華賞」に向け、僕は覚悟を決めてレースに臨みました。
「オークス」を勝った後、「アメリカン・オークス」を制したシーザリオは、レース中に繋靭帯炎を発症し、長期休養中。
勝たなければいけないライバルは、「桜花賞」「NHKマイルC」の2冠を制している、福永祐一騎手騎乗のラインクラフトただ一頭です。
道中は6~7番手を追走。
2番手につけたラインクラフトを前に見る絶好のポジションでレースを進めたエアメサイアは、最後の直線で鮮やかに抜け出し、本番を前にして、なんとか勝負の舞台に上がるところまで辿り着くことができました。
さあ、そして、いよいよ本番、「秋華賞」です。当時、マスコミもファンの方も、"2強対決"で大きく盛り上がっていました。
でも、相手は一度勝ったとはいえ、あのラインクラフトです。「ローズS」と同じ距離2000メートルは、僕とエアメサイアにやや有利。
しかし、坂のある阪神競馬場から平坦な京都競馬場に変わるのはラインクラフトに分があります。馬場状態や展開に関係なく、この時点で、前走の半馬身差はもうないのと同じです。
――挑戦者として、スピードでまさるラインクラフトに対向するにはどうしたらいいのか。
答えはひとつだけ。最後は彼女の最大の武器である末脚に懸けるしかない。
不安はありましたが、決めた心が揺らぐことはありませんでした。
結果は、まるでデジャヴのような2頭の激しい叩き合いから、ゴール前わずか数メートルのところで、グイッと力強く伸びたエアメサイアがクビ差、差し切っての優勝。最後の最後でわずかに残っていた力を振り絞ることができたのは、"負けられない" "負けたくない" レースで勝てたことが大きかったと思います。
もしもあのとき、「ローズS」で負けていたら……「秋華賞」の勝利もなかったと思います。
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