深海魚に学ぶ『人間力』 石垣幸二(沼津港深海水族館館長)の画像
深海魚に学ぶ『人間力』 石垣幸二(沼津港深海水族館館長)の画像

あまり知られてないと思いますが、水槽で飼うのが一番難しい魚は、大きな肝臓を持つ深海ザメなんです。
2、3日は普通に泳ぐんですが、4、5日目ぐらいから、腹が浮いてくる。
それで、体力を失って死んでいく。

体のほとんど8割ぐらいが肝臓で、中にあるスクワランという物質の油で浮くんですけど、それを調整する能力を失う時がある。
でも、その理由もどうしたら飼えるのかも、実はよくわかっていない。

深海生物って、みんなそうなんですよ。
本当に「捕った、育てた、判った!」っていうことばかり。
生態がわからないから、全部手探りで試していくしか手がないんです。

メンダコも難しいですね。
カワイイから、僕が館長をやることになった沼津の深海水族館の目玉にしようと思っていたんですけど、オープンした時は3日しか生きなかった。
いろいろ試してやっと27日生きましたけど、それでは水族館としては成功とはいえない。年間を通じて飼えるようにすることが課題ですね。

僕が、ここまで深く深海生物に関わるようになったのは、ある人の言葉がとても大きかったんです。

サプライヤー(生体供給業者)として独立して1年、芽が出なくて、限界かと思い始めていた頃のことでした。モナコで行なわれるある会議に来ないか、というメールがきたんです。

お金がないから、子供の貯金箱を壊して行きましたよ。

その会議で、僕はフォレスト・ヤングという業者に質問したんです。
彼が「この魚はすぐに死ぬ」と、自分の商売に不利になることを会議の壇上で平気で告げていたから「なぜそんなことを言うんだ?」と。
その返事は一生忘れませんね。

「お前は、何年この仕事をするつもりなんだ?」
そう言われたんです。

腹のすわってない僕に、ガツンとやられた気がして恥ずかしかった。
それで、プロとしての自覚ができたんです。

その後、アメリカの水族館から一匹40万円もする珍しいリーフィーシードラゴンの注文が4匹入ったときのことです。

24時間の補償をつけて、大喜びで送りました。

でも、1週間後に「オールデッド(全部死んだ)」ってメールが届いたんです。
「辞めさせられるかも」とも書いてあって。
「もっと飼い方を丁寧に説明すればよかった」
「でも、保証期間は過ぎてるし責任はないよな」って、いろんなことを思いました。

このとき、フォレストの言葉が頭の中をぐるぐる駆け回ったんです。
「何年この仕事を続けるんだ? 一番大事なのは信頼だろう?」ってね。

さんざん葛藤しましたが、結局、補償することにしたんです。
会社も潰れそうなのにね。

でも結局、向こうの担当者は水族館辞めちゃって、なんなんだ、単なるお人好しじゃないか、って目の前は真っ暗でしたよ。

でも、その2か月後、アメリカ各地からリーフィーシードラゴンの注文が殺到したんです。

合計42匹。
なんでウチに? って、注文先に訊いたら、アメリカ動物園振興協会のリストの中に、いわゆる5つ星として僕の会社の名前が入っていた。

辞めた水族館の担当者が、「イシガキは信頼できる」と、リストに、僕の会社を入れてくれたんです。
やっぱり、人との出会いじゃないかと思います。

吉本興業の水族館がオープンするときに、吉本側の担当の方に
「君たち魚好きの意見はいらない。水族館に来る人に魚好きな人は1割もいないから」
って言われたんです。
大ショックでしたけど、どうやったら魚に興味を持ってもらえるか、って、仲良しのさかなクンと2人で飲みに行って、一生懸命考えました。
2人とも飲めないのにね(笑)。

人に教えてもらえるありがたさがあるから、続けてこられたんだと思います。
皆の便利屋になればいい、人の役に立てばいい。
そう思ってやってきた。それだけですね。

僕は、1年でも長く仕事をやらせてもらいたいんです。

撮影/弦巻 勝


石垣幸二 いしがきこうじ
1967年、静岡県下田市生まれ。日本大学国際関係学部卒業後、一部上場会社で営業マンとして活躍するも飽きたらず退社。次の会社では、自分でサプライヤーの仕事を作り、8年在籍。2000年、海洋生物の生体供給会社『ブルーコーナー』を設立。「海の手配師」として、世界各国の水族館、博物館、大学に海洋生物を納入。2011年、『沼津港深海水族館』館長に就任。「思い立ったら止まらない」と自身の性格を分析するが、妻は「一度、決めたことは変えない人ですから」と理解を示し、貯金を奪われた娘も「会社のために、お金がそこにしかないのは分かっていましたから、怒りませんでした」と語る。写真で手に持つのは、深海水族館名物のメンダコとダイオウグソクムシのぬいぐるみ。「大ヒット商品です」(本人談)。

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