哀川翔インタビュー「Vシネの撮影は“戦いの現場”だった」の画像
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1989年、世の中はバブルに浮かれ、華やで浮かれたトレンディドラマが隆盛を極めていた時代に、主にレンタルビデオ店で貸し出されるための映画として東映Vシネマが誕生した。そこで繰り広げられるのは、オシャレとは程遠い、一般映画でもテレビドラマでも描けない、暴力、カネ、エロスにまみれた世界。そんな社会からはみ出したアウトローたちの血沸き肉躍る物語に、トレンディな世の中に馴染めない不良たちは熱狂し、こぞってレンタルビデオ店に詰めかけた。そこで熱狂的に支持された男たちがいた……。

あれから25年。幾多の“Vシネマ帝王”が生まれては消えたなか、いまだVシネマ界で、またそれ以外の場でも、熱狂的に支持され続ける男たちがいる。

今回、東映Vシネマ25周年を記念して、そんな男たち、哀川翔、寺島進、小沢仁志、小沢和義、浪岡一喜、本宮泰風、大杉漣、竹中直人……などなど、魅力的な面々が再び大集結! 25億円を25人の悪党たちが奪い合う、ザ・Vシネマな映画、『25 NIJYU-GO』が製作された。

今回は『25 NIJYU-GO』に主演する、Vシネマが生んだ大スター、哀川翔にインタビュー。Vシネマ黎明期、帝王時代、映画『25 NIJYU-GO』について、赤裸々に語り尽くす!


――そもそもVシネマって映画やテレビドラマと何が違うんですか?

哀川 やり始めた当初は、スクリーンにかからない、レンタルビデオ専用の映画ってことで立ち上がったんですよ。映画やドラマより表現の規制が少ないし、作る側としては、この新しいジャンルで今まで見たことないような面白いものを作ってやる! みたいな意気込みがあった。「どこまでできるんだ?」がテーマっていうかね。
だから、皆、エグイことやってたもんね。「ちょっとこのスコップで頭バーンとやらない?」「バーンとやったら、血がここからすごい勢いで吹き出すでしょ? ってことは……」とか、そんな話で盛り上がってたよ(笑)。
人の痛めつけ方が残虐でリアル、でもそこの追及はすげぇマジメにやる。そういうところがウケたんだろうね。結局、好きなヤツしか見ないから。万人ウケを狙わず、ものすごいせまいところに矛先を向けて追及したのがVシネマ。そこに熱いものを感じて見てくれる人がいて、その独特の世界を通過しながら育ってきた世代が俺らなんだ。

――翔さんはVシネマ黎明期の90年に『鉄砲玉ぴゅ~』(高橋伴明監督)で初主演。ヤンチャだけど、チンピラになりきれない若者像を演じて大ブレイクしましたが、当時はどんな感じでした?

哀川 俺はもともと一世風靡でデビューして、歌手だったからさ。たまにドラマもやってたけど「演じる」なんてことは全然わかってなかった。それが、ちょうど『とんぼ』(長渕剛主演のドラマ)をやって、なんとなくだけど演技ってもんを知り始めたあとにVシネマ初主演の『ぴゅ~』がきたから、タイミングとしてはよかったんだろうね。でも高橋伴明監督は武闘派だってウワサに聞いてたし、見た目も恐ろしいから、現場はなかなか緊張感があった。俳優としてよりも、戦いの現場に呼ばれたみたいな。

――戦いの場って(笑)。

哀川 喧嘩じゃないんだけど、要するにアプローチとしては「リングに上がれ」って言われてるみたいな感じ?(笑) 俺もまだ伴明さんのことをよく知らないし、現場のスタッフも初めて会う人ばっかりでしょ? 知ってる人は誰もいないわけだから。誰のことも信用してないし、もう「全員が敵だ」みたいな。2回、3回と仕事をして、ようやく「あ、知り合いだ」と思ってちょっと心を許す。そんな感じだった(笑)。

――最初はそんなファイティングポーズだったんですか!?

哀川 そう。だって、何やらされるかわからないんだもん。台本には「風呂場でラブシーン」って書いてあるだけだけど、現場行くといきなり「お尻を出せ」って言われるしさ。なにそれ、おかしいんじゃない?って(笑)。お尻を出す意味がわからない。誰も俺のお尻に期待してないと思うんだけど、みたいな抵抗? 
まぁ、Vシネマは普通の映画と違って、新作でもテレビや雑誌で番宣するものじゃないから、ビデオを借りる人はパッケージを見て決めるわけ。そういう意味で、話の部分も大事だけど、ビジュアルがすごく大事なんだよね。借りたいと思うビジュアルを醸し出さなきゃいけない。そういうことを求められてたんだけど、全然把握できてなかったから。

――ビジュアルといえば、まさに翔さんのビジュアルは全国の不良とか、不良的感性を好む人たちに絶大な支持を得て「Vシネマの帝王」となっていく。ご自身としては、ご自分の、なにがそんなにウケる要素だったと思います?

哀川 なんだろうね? 自分ではわからないけど……でも1つ思うのは、もがいてる青年像というか、どこかに向かってるんだけどまだまだ到達できない若者の姿がそこにあったんじゃない? 『ぴゅ~』もそうだけど、本人はヤクザバリバリのつもりなんだけど、全然ヤクザじゃない、みたいな。それって必死でもがいてるわけじゃん。その姿がいろんな人にハマったのかもしれないね。みんな自分と重ねて見てたとこあるんじゃないかな。
当時はチンピラまでいかなくても、若い男はある程度とんがってないとダメだよって感覚があったと思う。どうとんがった部分を持つか、それが男のテーマというかね。親には「バカだね」って言われるんだけど、そのとんがった時代を通過することによって大人になってきた部分ってあると思うんだ。
そこには車があってバイクがあって女がいて……それが1つの青春の像だった。Vシネマはそういう通過儀礼も描いていたわけよ。でも今の若者にはそれがない気がするんだよね、なんか。そこはつまらないかな。

――その、若者があがいている感じは、役者の道を進み始めたばかりの当時の翔さん自身とも重なりますか?

哀川 そうね。映像の仕組みはなんとなくわかったとしても、「芝居とは」とか「芝居の魅力とは」なんて全然意味がわかんないときだったから。まぁ、それは今もわからないけど(笑)。
とにかく大変さしかなかったから。仕事だからやるけど、なんでみんな好き好んでこんな大変なことやってるんだろうって。その時は、それをやり続けた先に、何があるのかもわからないわけじゃない? でもやるしかない。当時はそれに加えて、現場の誰も信用してない“戦い”も加わってたから、なおさら大変だったよね。
それでも続けて行くうちに、周りの人にも気を許すようになって(笑)、自分が何を求められているのかがわかるようになっていった。それに、やめりゃいいのに俺も監督なんかやったもんだから(『BAD GUY BEACH』・95年)もう、無条件で監督のことは尊敬するようになったよ。監督はすげえ、みたいな。


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