「ヨルタモリ」という番組をご存じだろうか。フジテレビの秋の新番組で日曜日の23時15分から始まる。

拙著「教養としてのプロレス」でのまえがきで私は、

《2014年3月31日は32年間続いた「笑っていいとも!」が終焉を迎えた日だった。日本人にとって人生の空気のような番組の終わり。昼の最終回のあと20時から放送された「グランドフィナーレ」は、タモリさんが32年間の昼のお勤めを終えて再び「夜」に帰っていく儀式にも見えた。》

と書いた。

あれから半年。タモリさんが「夜」に帰ってきた。

この番組は、どうやら「いいとも以前」のタモリさんを知る「大人」も楽しめるのが狙いのよう。

でもそれだけなら間口はせまい。昔のタモリさんを知らない世代でも「伝説」を再体験できる感覚になれるのがいい。

たとえばタモリ演じるインチキ・フラメンコ歌手やラッパーを見れば、デビュー当時はこんな感じだったんだろなと思いながらも笑えるし、たとえばインチキ大阪弁のオヤジをちょっと意地悪な表情で演じるタモリさんを見ると「かつて名古屋弁をおちょくってたという片鱗」を垣間見ることができる。誰もが「なんとなく知っていたタモリ」をリアルタイムで体験できるのだ。

これは柳澤健が書いた「1964年のジャイアント馬場」と同じ楽しみ方である。週刊大衆で連載され、早くも11月に単行本として発売されるこの作品は「知っているようで知らなかった馬場のルーキー時代」を克明に描いた作品だ。60年代のアメリカ黄金マットで馬場はいかに売れていたか?「イチローよりも松井秀喜よりも早く数十年前にアメリカで活躍した馬場」はまるで「まだ見ぬ強豪・ジャイアント馬場」なのである。

「ヨルタモリ」もそれに近いものがある。まるで「いいとも」の32年間をタイムスリップして、あの頃のタモリを体験できる感覚がある。さしずめ「1982年のタモリ」だ。

あと、ホントに勝手に個人的な感覚を書くと、「ヨルタモリ」は私が10代の頃(80年代)に見た「土曜・日曜夜の大人の番組」の雰囲気を思い出すのだ。「今夜は最高!」、「Ryu's Bar 気ままにいい夜」、「たけしのここだけの話」・・・。放送局もテイストもゴチャゴチャだが、なんかあの頃のあの時間帯の雰囲気を思い出す。

ということは、「ヨルタモリ」は大人向けなのではなく、夜更かししてまったりと粘る子どもに合う番組なのかもしれない。どことなく洒落た雰囲気を背伸びして味わう子どものための。

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