化けきる『人間力』 石橋 凌(俳優)の画像
化けきる『人間力』 石橋 凌(俳優)の画像

「頂いた役に化けるのが、俳優の仕事だと思ってます」

俳優って、本当に変わった仕事なんですよ。
例えば、友人と喧嘩している時に、ちょっと待ってと言って、トイレに駆け込むんです。怒っている時に、自分がどんな表情をしているのか、確認するために。ほかにも、誰かの訃報を聞いて、みんなが泣いている時、ごめんと言葉を残して、一人で鏡の前に立ってみたりするんです。 
自分でも理不尽だと思うんですが、それが僕の仕事なんです。

そもそも、俳優という仕事を知ったのは、少年の頃に両親に連れられていった映画館でした。当時は、各家庭にテレビがない時代でしたから、街の映画館で映画を見るというのが、本当に楽しみだったんですよ。
中学生の頃には、将来の夢を聞かれ、周囲の友人がパイロットとか、医者と答えている中、一人、映画評論家と答えていましたから(笑)。

ただ、高校時代にはバンド組んで、その後、アマチュアバンド活動をしていた時期もありました。その時は食えなくて、いろんなバイトをしましたね。飲食店や、ビルの窓ふき、沖仲仕。悪い大人をいっぱい見ましたよ(笑)。特に沖仲仕の現場では、バイトに働かせて、本職の人たちはホルモン焼きながら焼酎飲んでいました。酔っ払うと、オヤジがマグロを解体する日本刀を振り回しながら、暴れ出したりして、いつ殺されるかってヒヤヒヤしていましたよ(笑)。
今となっては、役者として非常に貴重な経験だったと思っています。バイトの時に出会った悪い大人のような役の仕事がなぜか、いっぱい来ますから(笑)。

音楽活動を経て、本格的に俳優の仕事に入り込んでいったきっかけは、松田優作さんとの出会いでした。
優作さんは、映画俳優という職業をまさしく極めた人でした。僕の俳優としての基礎はすべて優作さんに鍛えられました。優作さんが監督を務めていた作品で、ヤクザの組長に、僕が物を運ぶシーンがあったんです。7、8歩、歩くだけのカットでしたが、優作さんから、何回も何回もNGが出るんです。
どこがダメなのか、全然わからなくて、聞いたんです。そしたら、「お前は意識してないかもしれないけど、いつの間にか、右肩が下がっているし、左膝が外を向いているよ」と、自分でも気がついていなかった歩き方の癖を指摘されましたね。
ハッとしましたよ。優作さんは、
「それは、石橋凌の癖だろう。お前が演じる役の男は、どういった思いで歩く7、8歩なのか。ここに来るまでどうやって来たのか。車なのか、電車なのか、飯は食って来たのか、食ってないのか、そういうことを全部ひっくるめた上での7、8歩を歩いてくれ。だから、変に芝居はするな。その役になりきって現場に来てくれればいい」と。優作さんには大事なことを教えてもらいました。

それは、その後、僕の俳優の基礎となったし、今回出演した『トワイライト ささらさや』でも活きています。今作では、息子と仲違いをして、長い間、別々に暮らしている父親という役を頂いたんですが、息子が亡くなって、彼のお葬式で初めて孫を抱くんです。僕自身も、父親とは仕事の関係で、離れて生活をしていたんですよ。お盆や、正月に父親の住む町に会いに行ったり、父が家に帰ってくるのが、とても楽しみでした。

今は、僕も父親ですから、演技をするにあたって、自分自身の我が子への想いはもちろんですが、当時の父親の気持ちを想像しましたね。
その父親役は当初、海外で仕事をしているというぼんやりした設定だったんですが、監督と話しあって、インドのある村で働くODA職員というところまで具体的に決めました。
そこから、ODAの仕事はどういうものなのか、インドではどんな生活なのか、映像や本を読んで徹底的に調べました。この人は、どういう人間なのか、調べられる限り調べるのは、僕にとっては、必須なんです。
それが、演技に直接関係していなくても、頂いた役に化けきるのが、俳優の仕事だと思っていますから。
ただ、この仕事を長くやっていて、さまざまな役になりきったおかげで、自分という人間が、どんな性格をしていたのか、わからなくなってしまいましたね(笑)。


撮影/弦巻 勝


石橋凌 いしばしりょう

1956年7月20日、福岡県生まれ。ロックバンドA.R.Bのボーカルとして熱狂的に支持される中、82年に宇崎竜童監督作『さらば相棒』で映画デビュー。その後、松田優作 監督・主演作『ア・ホーマンス』(86年)で数々の映画賞を受賞。『ヤクザVSマフィア』(94年)でヴィゴ・モーテンセンと共演。96年にはショーン・ペン監督、ジャック・ ニコルソン主演の『クロッシング・ガード』でハリウッドに進出。

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