先日、俳優の高倉健氏が死去したニュースが流れたが、わが祖国の人々はある意味、日本人よりこの名優の死を深く悲しんだ。国営テレビのCCTVが急きょ特集番組を組み、外務省のスポークスマンがわざわざコメントするほどだから、その影響の大きさが分かるだろう。

彼が主演した映画「君よ憤怒の河を渉れ(中国名・追捕)」は今から30年以上前の1978年、文化大革命の暗い時代が終わって経済開放が始まった中国で、初めて公開された外国映画だった。それまで外国映画といえば、北朝鮮かソ連のプロパガンダ映画だけだったから、アクションとラブロマンス満載のこの「追捕」に中国人は打ちのめされた。いわば、中国人に来るべき新しい世界を示した映画だった。

高倉健さんの無口さ、クールさにも中国人は心を奪われた。同じアジア人なのに、中国には彼のようなかっこよさの俳優はいまだにいない。当時、中国人男性は「高倉健」に憧れるあまり、彼が演じる「杜丘」が着ていたコートを買い漁ったが、実は私もその1人。もし、文革後に最初の公開された映画がハリウッド作品で、たとえかっこいいアメリカ人男優が主役だったとしても、ここまで人気にはならなかっただろう。

当時、「追捕」を見て、中国人は日本の文化の持つ力に感動した。しかし残念ながらわが中国はこの30年あまり、経済力では追い越したが、文化的な力量ではまだ遠く日本に及ばない。最大の原因は、まるで文革のころと変わらないメディアや映画に対する検閲だ。はっきりいって、今の中国は韓国よりも劣っている。

高倉健と同様に、女優の中野良子や山口百恵、栗原小巻も70年代後半から80年代にかけて中国で大人気になり、その作品が今でも中国人の記憶に強く残っている。彼女たちは日本人が気づかない「日本の文化遺産」だ。ようやく首脳会談にこぎつけたものの、いまだにぎくしゃくした日中関係の改善の「秘密兵器」になるのではないか。


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