人生に役立つ勝負師の作法 武豊
今も鮮烈に覚えているクロフネの走り


「近代競馬」は、江戸時代末期、浦賀沖に来航したマシュー・ペリー率いるアメリカ艦隊によってその幕を開けました。最初の競馬が行われたのは「桜田門外の変」があった1860年。さらに2年後の62年、現在の横浜中華街あたりで、居留外国人のレクリエーションとして始まったのが今に伝わる競馬の原型といわれています。

そう、すべては、ペリーの"黒船"から始まったのです。

01年から、日本ダービーが外国産馬に開放されることが決まり、そこから名づけられた1頭のサラブレッド……それが、クロフネでした。はじめて彼を見たのは、デビュー3戦目の「エリカ賞」のときです。同じレースに違うパートナーで参戦した僕は、「とんでもない馬が現れた」と、ただ呆れるしかありませんでした。

初めてコンビを組んだ「NHKマイル」は冷や汗ものの勝利。続く「日本ダービー」は5着と敗れたものの、桁外れのスピードと強さにはみじんの疑いも抱きませんでした。それを証明したのが、初ダートとなったGⅢ「武蔵野ステークス」です。

「初めてのダートになるけど、クロフネの力なら圧勝するかもしれない」

レース前、そんなことを思っていましたが、結果は2着に9馬身差、コースレコードを1秒2も縮めるタイムで優勝。年に一度か二度、あるかないかというほどの強いインパクトを感じていました。

しかし、クロフネの衝撃は、それで終わりではありませんでした。続くGⅠ「ジャパンCダート」に出走した彼は、4コーナーで先頭に立つと、独特な大きなストライドで府中の坂を駆け上がり、後は後続を突き放すだけ。ディフェンディング・チャンピオンのウイングアローをなんと7馬身もぶっちぎり、前走に続くレコードで悠然とゴールを駆け抜けていました。

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