涙あり!笑いあり!スクープあり!?
お宝写真で綴る あの芸能人「若気のいたり」
第4回 大石まどか 編

 

 

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1992年デビュー、その当時「演ドル」と呼ばれ演歌界にアイドル旋風を巻き起こした大石まどかもいまでは42歳。今年で歌手生活23年目を迎えた。いまや「いぶしぎん」の世界に生きる大石に対し、さすがに「演ドル」は失礼かと思いきや彼女のファンには若い男性が多い。
 というのも大石は正統派演歌から歌謡曲まで幅広いジャンルをこなす器量と常に新しいイベントに挑戦する探究心があるからだ。
 その代表例が一昨年から始めたライブ『生ラ!』。ライブハウスを使用したファンライブだが、ここでは本人のレパートリーは1曲か2曲。それ以外の10数曲は全て他のアーティストのカバーという構成である。
 しかも演歌はほとんどなくニューミュージックやJ-POPなどが大半。これに新規ファンが魅了されるというわけだ。
 そして、その試みは成功。演歌界では中堅の大石がいまでも大御所と寸分違わない人気を維持しているのは、そんな背景がある。
 実際、2014年2月、シングル30作目となる『居酒屋「津軽」』は、オリコン演歌チャート初登場6位を記録した。

 

 

 

 


「居酒屋『津軽』」(日本コロンビア)

 


これも今年年明けにオンエアされた『ワケあり芸能人大集合2014年開運グルメ食べ尽くし』(テレビ東京系)に出演した事がきっかけ。出演直後に『Yahoo!』の検索ワード急上昇ランキング上位となるなど、「演歌の枠」を超えた活動が実を結んでいる。
 さらに8月20日には作曲家・ 西つよしとのデュエット曲『あの日のまま』を発売。こちらは正統派カラオケファン向けの作品だがオムニバスアルバム『エンカのチカラ プレミアム』(11月発売)では、J-POPのカバーに挑戦するなど、精力的な活動を展開している。
北海道・函館市に生まれた大石。民謡歌手師範だった父の影響で幼少期より、民謡を習い始める。
 父親譲りの類稀なる才能を持っていた大石はすぐに開花。「歌が上手い女の子」として近所はもとより道南地区でも有名になった。

 

 

 

 

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幼少から民謡を始め、地区の民謡大会に出場していた頃

 


小学生時代から北海道のカラオケ大会に出場。数々のタイトルを獲得していくうちに「将来は歌手になる」という思いが強くなっていった。
 中学、高校生になると人前で歌う機会が激増。特に高校時代は地元を始め道南地区の祭事で歌を歌う機会に恵まれるようになった。
 そしてついに高校3年時、芸能事務所サンミュージックの関係者の前で歌を披露。これが認められて卒業後には晴れて上京が約束されるのだが、年頃の“乙女”には恋愛や好奇心がつきもの。そこで大石に「いまだから言える」アルバイトと高校時代のカレシについて語ってもらった。
 当時の大石は正直、生活には困っていなかったが、憧れのバイトがあったという。
「特にお金が必要だったわけではありませんがレジ打ちに憧れたのです。バーコードがない時代、スーパーやコンビニでレジを打っている人を“カッコイイ”と思ったんです。でも私の通っていた高校はアルバイト禁止。見つかると最悪の場合、退学です。そのリスクを冒してまで私は“レジ打ち”に憧れを抱いていたのです(笑)」
厳格な父に拝み倒してなんとか許可を得た大石。バイト先は近所のコンビニエンスストアで、当時の時給は390円……いまでは考えられない薄給だが、道南地区では「390円」は当時の相場、平均的なアルバイトだった。
 バイト先は、大石家からは近いが、通っていた女子高からは距離があった。アルバイトが発覚したら「退学」というリスクはあったが、その頃の大石女子には「絶対バレない」自信があったという。
 ところが「好事魔多し」。安泰と思えたバイト先に大石の担任がある日、ひょっこり訪れたのだ。大石が語る。
「偶然、私は休憩中でレジカウンターにいませんでした。先生の姿を控え室で目撃した私は顔面蒼白。“これはマズイ。いつか必ず見つかる”と思い、残念ですがすぐにバイトを辞めました」
 実は、当時の大石は祭事で歌を歌うという“アルバイト”もこっそりやっていた。こちらは「日当1万円」という「高収入アルバイト」なのだが、さすがに学校関係者の目に付く場所でのオファーは「お断り」。これも立派なアルバイトには違わない。発覚したら容赦なく「退学処分」となるからだ。
「因みに演歌一筋に見える私ですが、友達とのカラオケでは事務所の先輩・松田聖子さんや中森明菜さんのヒット曲を熱唱していましたよ」
 一方、恋愛のほうはというと――。
「18歳の女子高生でしたからもちろん、カレシはいました。私は女子高に通っていたので当然、相手は別の高校。高校野球で有名な学校の男子でした。自画自賛ですが結構、素敵な出会いでした。彼の文化祭に友達数人で遊びに行ったのがきっかけ。偶然、彼を見つけ、“うわっ、カッコイイイ、この人”と思ったのです」
その時は名前、連絡先を交わすことなく終わったのだが、運命のいたずらはここからが真骨頂。なんと後日、その“カッコイイ”人物が大石の友人宅にいたのだ。友人と“カッコイイ”人物は恋仲ではなく、単なる幼馴染みだった。
「それから、晴れて交際がスタートしたものの、私は卒業後に上京が確定している身。私の周りが大学受験で忙しくなったときでしたから、高校3年の秋冬シーズンの話です。一緒にいられるのもあとわずか。それでも若いと楽しいモノなんですよね」
 その彼とは上京後も「遠距離恋愛」として約1年、交際を続けていたという。
「私はサンミュージックの相澤秀禎(ひでよし)会長宅で下宿生活。修行の身でしたから北海道には簡単に帰れません。その頃はテレフォンカードが普及していて事務所のスタッフさんから(テレカを)GETしては公衆電話で函館のカレシにラブコールをしていました。会えるのはお盆と年末年始だけでした」
 上京2年目の2月、大石は『恋のしのび雨』でデビュー。本格的な芸能生活をスタートさせた。それと並行して多忙なスケジュールを余儀なくされた結果、彼氏とは「自然消滅した」という。
 当時、サンミュージックのタレントといえば「相澤会長邸に下宿」というのが業界の定説だった。事実、酒井法子、中嶋美智代、桜井幸子、大和さくら……といったタレントも新人の頃は皆、下宿組。もれなく大石もその伝統を受け継いだかけだが、実は彼女が最後の下宿組だったという。

 

 

 

 

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お世話になったサンミュージック、故・相澤会長と(2012年)

 


それ以後のアーティストはほとんど、下宿を経験していない。つまり、タレントの変革期で「古き良きサンミュージック」の売り出し方をしたのは、大石までだったと言ってもいいだろう。
「初めてのアーティスト写真撮影は大失敗でした。1年間、芸能界で修行をしたといっても素人と一緒。カメラに向かって表情を作ることができなかったのです。あとから見たらホントに“ダサっ”という写真。私自身がウンザリしました。しかも当時のサンミュージックは新人には必ず水着を着させていたという時代。のりピーも中嶋みっちゃんも桜井さっちゃんも皆、水着を経験している。自分だけ水着撮影を避けては通れない。それでもまさか私にまでその“おハチ”が回ってくるとは考えもしませんでした」
サンミュージックでは水着撮影は「定番」とはいえ、大石は演歌歌手。大石の頭には「水着」の文字はなかったという。
「あとになって気づいたのですが、(私が)最初に所属したレコード会社は『東芝EMI(現・EMIミュージック・ジャパン)』。ここは演歌といえども水着のプロモーションを積極的に行っていたのです。私の少し前にデビューした坂本冬美さんも水着になっています。私はスタイルに自信がなかったのですがサンミュージックと東芝が“インパクトを”ということで私の水着が即決。私としては水着に抵抗がありましたが、まあ、それは大人の事情で却下され、水着デビューとなったのです」
こうして演歌界のアイドル、略して「演ドル」として颯爽と登場。デビューに合わせスポーツ紙、週刊誌で水着姿をお披露目したのだ。さらに当時は「写真集ブーム」。中堅出版社(当時)からは「セクシー写真集」のオファーまであったという。
「水着はデビュー企画のみで終わりました。撮り下ろしでの思い出は『週刊プレイボーイ』ですね。グラビアタレントなら、誰でも憧れる媒体に私は2回掲載されました。でも、私にはもうそれでお腹一杯。その後はやんわりお断りしました」
 演歌歌手の傍らバラエティにも精力的に出演。なんといってもテレビ初レギュラーが今田耕司、東野幸治(Wコージ)司会の『天使のUBGE』(フジテレビ系)。出演者の中では唯一の演歌アイドルとして抜擢されたのだ。
そして何より「大石まどか」を老若男女、知らしめたのが「モノマネ」だ。
 90年代後半、モノマネ番組では「本気度100%のモノマネ歌手」として、その地位を不動にした。それはいまも語り草になっている。

 

 

 

 

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演歌のみならず、バラエティ、モノマネ、歌謡などジャンルを越えて才能を発揮した

 


演歌歌手から歌謡歌手に、歌謡歌手から再び演歌歌手に……。大石円から大石まどかに改名……など20数年の芸能生活は決して平坦なものではなかったが現在、彼女が第一線で活躍できているのはファンの応援と本人の探究心、努力があってこそだ。
 今年3月からスタートした後輩・西尾夕紀とのジョイントコンサート『大石まどか do 西尾夕紀 の青森の歌っこ うだうべしぃ~』が先日、終演。青森・函館・東京公演が大盛況、成功で幕を閉じた。
15年も2月から『全国縦断にっぽん演歌の夢祭り2015』に参加する(予定)など、大石まどかは不振に喘ぐ演歌界を盛り上げるべく奮闘し続けている。

 

 

 

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