父から受け継いだ『人間力』 大谷亮介(役者)の画像
父から受け継いだ『人間力』 大谷亮介(役者)の画像

「演じる役を100%理解したらダメ。人間で自分のことを完璧に理解している人なんていませんから」

役者をやっていて何が楽しいって? 終演後にご婦人が「サインしてください」ってかけ寄ってくることかなあ。その瞬間、15秒くらい、すごく幸せですね(笑)。
でも、その15分後には、今月、金がないって頭抱えたりしてね。儲からないですよ。年に2回は、金がなさ過ぎて、お地蔵様のように固まってしまうことがありますから。
でも、そこは役者ですから、宝くじが当たった人になりきって、ニヤニヤしながら誰にいくら借金を返してとか妄想していると、1週間くらいで平気になっちゃう。本当は平気じゃないんだけど、妄想に逃避してるんですね。

そもそも、学生時代、役者に興味なんてありませんでした。酒を飲んだり、ディスコに行ったり、遊んでばかりいたんで、まともに就職のことなんて考えずにいたら、友人に「演劇でもやってみれば?」と言われたんです。軽い気持ちで串田和美さんや吉田日出子さんがいらした自由劇場に入りましてね。
みんなは役者になりたくて勉強してきているのに、おれだけズブの素人でしたから焦りました。あとで聞いたら周りの劇団員たちからは"どうせ、すぐ辞めるだろう"って思われていたらしいんです。
声も全然出なかった。子どもの頃、喉の病気をして、1年間声が出なかったことがあって、それ以来、大きな声が出せなかった。吉田日出子さんに「あんた、無理!」って宣告されました(笑)。

それでも続けられたのは"血"だったのかもしれません。実は、すでに役者として活動していた30代に、親父が亡くなりまして、家族で遺品を整理していたら、日記が出てきたんです。
親父は戦争を経験していて、ラバウルで終戦を迎えているんですが、その時の日記に〈ついに自由な時代が来る 余の胸に去来する偶像一、新劇の舞台……〉って書いてあったんです。腰を抜かすほど驚きました。役者になりたかったなんて、ひと言も言わなかったんですが、父の姉に聞いたら、「ああいう時代だったから、親が許してくれなかったけど、本当は役者になりたかったんだよ」と教えてくれました。

といっても演劇素人に変わりはありません。すべて一から勉強です。目の前にあるものを一つ一つ学んできたって感じです。
今回の舞台『海をゆく者』は、幼なじみのオヤジたちが、クリスマスに集まってポーカーをするところにある事件が起きる話なんですが、お客さんが一目見て、僕たちが友人だってわかる空気感を出すということが課題です。

それから、この作品は会話がとにかく多い。しかもアイルランドの翻訳劇なので、翻訳された日本語をいかに、自然な会話のように馴染ませるのかが難しいですね。
ただし、演じる役についてはすべてをわかろうとしないようにしています。半分くらいわかっている、あとの半分はよくわからないぐらいが丁度いいんです。
だって、100%、自分のことを理解してる人っていないでしょう。役のことをわかろうとし過ぎると、演技が理屈っぽくなってしまうんです。

撮影/弦巻 勝


大谷亮介 おおたに・りょうすけ

1954年3月18日、兵庫県生まれ。東京水産大学出身。大学在学中に『自由劇場』に入団。その後、『東京壱組』を旗揚げし、座長として活躍。『分からない国』で、プロデュース及び演出で紀伊國屋演劇賞を受賞。映画『相棒』を始め大河ドラマ『軍師官兵衛』にも出演。近年は『三軒茶屋婦人会』のユニットに参加し、「どうしたら女になりきれるか」の課題に取り組んでいる。

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