国民栄誉賞の声もある名優の素顔とはいかなるものだったのか。証言で綴る"不器用"ながらも高潔な生き様――!!

悪性リンパ腫のため俳優の高倉健さん(享年83)が亡くなったのは、さる11月10日のこと。その死は8日間伏せられ、18日になって一斉に報じられた。
いまなお、健さんの死を惜しむ声が鳴りやまないのは、亡くなる瞬間まで、自分らしさを貫いた彼の生き様にあるようだ。
芸名の「倉」の字を健さんから頂戴したという俳優の石倉三郎さんが言う。
「あの日(18日)は芝居で博多にいて、楽屋に女房から電話がかかってきたんです。(事実を知り)一瞬、目の前が真っ白になりましたね。病気のことはまったく知りませんでしたけど、そこが健さんらしいところ。人を煩わせることが大嫌いでしたから。10年後の11月10日であろうが、20年後のその日であろうが、健さんは誰にも知らせず逝ったはず。実に健さんらしい最期でした……」

健さんといえば、多くの"伝説"を残したことで知られる俳優。しかし、私生活を切り売りして知名度を上げるタイプの俳優とは違い、生前、私生活についてほとんど語らなかった。
寡黙で不器用と言われた男の生き様は、どうだったのか。健さんと交遊のあった芸能界の重鎮らの回顧から、その素顔に迫ってみたい。

まず、誰しも口をそろえるのが、「大スターなのに偉ぶらない」ということ。
遺作となった映画『あなたへ』(12年=数字は公開年=以下同)の降旗康男監督は、「スターだけど、スター的な振る舞いをしないのが健さん」と語っている。『夜叉(やしゃ)』(85年)で初めて共演したビートたけしは、以来、健さんと30年来の友情を温め合う関係となった。たけしは、客員編集長を務める『東京スポーツ』紙上で、スターらしくない健さんの振る舞いに、ハートをワシづかみされた経験を振り返っている。

「(『夜叉』の)ロケ先の福井に向かったら、健さんが駅のホームで待っててくれたの。雪の中で花束を抱えてね。"たけしさんですか。高倉健です。私の映画に出てくださって、ありがとうございます"。電車から降りたらそう言われてさ」
主役でありながら、自ら出迎えるのが健さんの流儀。さすがのたけしも、
「ああ、今のは高倉健だ。どうしよう、参ったなと思った。何でもいうことを聞こうと思った」
と脱帽。また、こんなこともあったという。
健さんがたけしと一緒に映画を作ろうと思い、たけしの事務所に直接、「もしもし、高倉健です。たけしさんと連絡を取りたいんですが」と電話してきたことがあったという。
事務所スタッフは、まさか健さん本人から電話がかかってくるとは思わず、「何言ってんだ、この野郎!」とあしらったそうだ。それでも健さんは電話口で「高倉です」と言う。そこでスタッフ、今度は「松村(邦洋)だろ、モノマネばっかりしやがって」と言って切ってしまったという。

これも、たけしが明かした秘話だが、ドライブが好きな健さんがある夜、車で銀座を走っていたときのことだという。
「(大好きな)コーヒー飲むんでちょっと停車していたら、酔っ払いが後ろのドア開けて"渋谷へ行ってくれ"って。タクシーと勘違いしたんだ。健さんは何も言わず、そのまま渋谷まで送ったっていうんだ。着いたら、酔っ払いが"いくらだ?"って言って。健さんは"いや、私、高倉の車ですからいりません"。"えっ、タダなの! あんた、いいヤツだね"って帰ってったっていう。酔っ払いは高倉健を運転手代わりにしたなんて、いまだに信じてないだろうね」

一般のファンが目撃した話もある。
無類の車好きで知られる、健さんが一人でジープを運転し、ガソリンスタンドへ洗車に来た。
当然、スタンドの事務所は大騒ぎ。寒い日だったので気の毒に思ったスタッフが「手伝いましょうか?」と声を掛けると、健さんはスクリーンの中と同じ話し方で「いえ結構です。一人でやります」と言って、黙々と洗車をし始めたという。
これぞ、本物のスター。また、共演者らへの気配りも凄まじいものがある。

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