アベノミクスの先にある時代

小泉家の父子二代にわたって取材を続ける作家の大下英治氏が話す。
「2014年も2度ほど小泉純一郎さんと飲みましたが、彼は自分から息子のことを語ることはありませんよ。だけど、僕はこう感じたんです。世間では、父・純一郎さんの"脱原発"に進次郎くんが感化されたと言われていますが、私は逆だと思っているんです。進次郎くんが毎月欠かさず被災地を訪れている姿を純一郎さんが見て、"オレは、こんな悠々自適な隠居生活を送っていていいのか?"と自問自答し、脱原発の活動を始めたのではないかと。間違いないと思います」
いずれにせよ、災害が起これば即座に行動。そして、3年10か月近く過ぎた今でも継続して支援する。言葉では言えても、実行することは並の政治家では、なかなかできることではないだろう。

その進次郎氏が、ここにきて、ついに"首相への道"を語り始めたのだ。選挙公示日(12月2日)、東京・日本橋小網町、午後4時。進次郎氏が街頭演説に立った。
そこで彼は、「私たちはアベノミクスの先を考えなければいけません」と第一声。続けて、
「今後、人口減は不可避。その時、次の世代に活力を引き継げる仕組みにモデルチェンジしなければならない。我々若い政治家がやるべきなのは、目の前の結果を追うのではなくて、将来、誰かがやらなくちゃいけないことを今から手をつけるべきだ」
さらに声のオクターブを上げ、
「東京オリンピックやパラリンピックを終えた後に、新しい国づくりが始まるんです。候補者は圧倒的に30代、40代が多い。これからその仲間たちとアベノミクスの先にある時代を一緒になって国づくりをしていく」
と、自らの政権構想を訴えるごとく、街頭演説を締めくくったのだ。

聴衆の多くは、そこに"進次郎、首相への道"宣言を感じ取ったという。
「これまで進次郎氏は、自身が日本を背負って立つなどとは、ひと言も口にしませんでした。それが、今回の衆院選の演説では、決まって日本の将来を憂う改革発言を連発。これを伝え聞いた永田町関係者の多くが"いよいよ天下獲りを意識し始めた"と、見る目を一変させました」(ベテラン政治記者)
その進次郎氏の「首相への行程表」なるものが今、永田町の進次郎に近い関係者の間で密かにささやかれているというのだ。それは、こんなシナリオだという。

――第3次安倍内閣のある時期、首相は進次郎氏を大臣ポストに抜擢する。
17年1月、消費増税10%を断行した日本経済は深刻低迷。支持率が急落した安倍首相は、政府の顔・官房長官に進次郎氏を抜擢し、窮地を乗り切ろうとする。だが、アベノミクスが完全崩壊し、国民からそっぽを向かれた安倍首相は辞任を決意。
17年秋に急遽行われる自民党総裁選で、12年の総裁選に続き、進次郎氏の支持を受けた石破茂氏が総裁の座につき、新内閣を誕生させる。
同内閣では、進次郎氏の政治能力を高く買う石破首相が、まず党の要職・幹事長に彼を抜擢し、党運営を経験させる。
同政権末期には、「首相への準備」として、重要閣僚のポストを与える。
そして、東京五輪を目前にした20年4月。自民党総裁選を前にかねての"約束"を果たし、石破首相は退陣。代わって、進次郎氏が自民党総裁選に出馬し、晴れて小泉進次郎首相が誕生する――。

小泉純一郎・進次郎親子と親しい政治評論家の浅川博忠氏が言う。
「第3次安倍内閣で、進次郎氏の大臣就任は濃厚です。巷間、初入閣有力ポストと言われているのが、現在、彼が最も力を注いでいる復興大臣。ただ、私は特命大臣(直属の官庁部署がない)である復興相より、強力官僚がバックアップする経産相を進次郎氏は望むと思われます」

同氏は続ける。
「その後、アベノミクスの耐用期限が過ぎた後の石破内閣誕生は、多くの自民党議員が一致するところです。石破氏は、日頃から"(進次郎氏は)将来の首相候補"と公言しており、首相有資格者となる重要大臣ポスト、たとえば外務、財務に進次郎氏を登用。名実ともにポスト石破の最有力候補として育て上げることでしょう」
石破内閣が終わるまでには、官房長官や党幹事長も歴任。押しも押されもせぬ首相候補に浮上しているというわけだ。
「安倍首相が、小泉純一郎内閣で幹事長と官房長官に抜擢されて首相への道を掴んだのと同様、進次郎氏もその道をたどるものと思われます」(前同)

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