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パンチ佐藤の「野球が一番!」
第3回 契約更改とシーズンオフの裏話


2015年シーズンからBCリーグ『武蔵ヒートベアーズ』の宣伝本部長に就任したパンチ佐藤。かつての日本代表~オリックスのドラ1も、今では芸能人としての色が濃い。
そんなパンチが野球界に“復帰”して改めて思ったことは「野球が一番」ということだ。プロ野球が地域の意識を変えるカンフル剤になっている現実を、パンチ流に解説する!


皆さん、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。いよいよ本年、2015年から僕は野球界に復帰BCリーグの『武蔵ヒートベアーズ』の宣伝本部長として活動します。

そこで、「お年玉」企画として、シーズンオフの裏話を披露しますね。テーマは「契約更改」と「オフ」。今回は、契約更改についてご紹介しましょう。

僕は、オリックスに契約金7000万円で入団しました。しかし、これは額面上での話。実際に手にした額は、5000万円もなかったと思います。ただ、オリックスという会社はしっかりしていました。他球団などでは入団時に「交通事故に遭った」「故障持ちだった」などの事態が発覚した場合、契約金の返納が言い渡されるケースがあるんです。そういった事態にもしっかり対応できるよう、契約金は2回の分割払い。入団する前と、年明けに分けて振り込まれました。

過去にドラフト指名を受けた選手が、浮かれて交通事故を起こしたことがあったんです。それが教訓になり、僕らの世代あたりから「分割」の文化が生まれました。ちなみに、僕もドラフト指名された時はケガをしていて松葉杖状態でしたよ。さすがに、今はこの制度が踏襲されているかどうかは「?」ですが……。 

契約金や契約更改(年俸)の記事が、スポーツ紙などで報じられますよね。これは、球団事務所に番記者が張りついていて、記者の方から我々に「いくらですか?」と聞いてくるんです。口をつぐむ選手も当然います。そんな時は、記者が上手に誘導するんですよ。

例えば、ある選手が「1億はいきませんでした」とした口を割らなかった場合。記者はそれでは記事にできないので、「9?」「8?」としたたかに聞いてきます。すると、選手も近い額になると根負けして「まあ、そのあたりです」。僕はといえば、契約金を聞かれた時など「ズバリ7000万円です!」と言い切りました。

では、契約更改の細部。査定についてはどうか――球団によってマチマチで、ドンブリ勘定のチームもあります。僕が現役当時、12球団で最もキッチリしていたのが西武ライオンズ。西武は「送りバント」「四死球」「犠牲フライ」など細かいところも査定に入り、評価の対象でした。2割5分程度の打率でも「優勝に貢献した」という評価を得て、年棒が上がった選手も多かった。

ちなみに「オリックスは?」といえば、「普通」だと答えます。僕と球団との「契約更改の攻防」は後述するとして、面白いエピソードを一発。

ある選手の年俸が7000万円だとします。その選手が契約更改の席で粘って2000万円、3000万円アップでサイン、なんて話はよくありますよね。

ところが、年俸800万円の選手が「1200万円欲しい」と言うと、球団側から「400万円って……どれだけの大金だと思っているのか! 常識的な金銭感覚を持て!」と叱責されるのです。

僕はといえば、サラリーマンを経験していたことが効果絶大。球団側、フロント側に対し、僕の方が手玉に取っていた感じがしました。これは、一般企業で働いていたからこそ、できた交渉術ですね。

都市伝説なのか現実なのか、ジャイアンツの契約交渉は「何でもいいから取りあえず、1回首を横に振れ」という伝説があります。首を横に振るごとに、1000万円アップする。さすが、お金を持っている球団。都市伝説であっても、スケールが大きい。

では、パンチ佐藤はどういった交渉をしたか――本邦初公開します。

「(フロント相手に)チームはオーケストラと一緒でしょ? だからトランペットや太鼓ばかりでなく、カスタネットやトライアングルも必要。僕はカスタネットです。ハーモニーとしては必要不可欠ですよ」

まず僕は、一軍最低保証の1200万円を要求しました。1年目の年俸は800万円……そう、先ほどの「常識的な金銭感覚」という反撃を受けた張本人でした。フロントは「1000万円が限界」として譲らない。

当然、僕も譲れません。「そこを一つ……」と反撃。すると、「(アップ要求額の)400万円はサラリーマンの年収だぞ! 何を考えているんだ!」とフロント。ここまで頑なになるのには、理由がありました。一年目は当時、オリックスの看板選手・ブーマーが怪我で欠場することが多く、その代役を僕が務めたのです。打率は3割を超えており、2年目もやれる自信がありました。

そのためには、一軍最低保証は欲しかった。よくある「出来高」で収めようと球団(フロント)は画策していましたが、「僕は一軍にいるので、結局1200万円を支払うことになる。だったら、スッキリ1200万円で更改しましょう」と理論武装したんです。

フロントからは出場試合数を指摘されましたが、「試合に出す、出さないは監督が決めること。実際、出場したら打っていますよね!」と、相手に隙を与えない戦術を展開しました。

結果、5回の保留。新人で初でしょうね。当時は、代理人制度などなかった時代。オリックスは、球団側が3人でこちらは1人……。18歳やハタチの選手では、反撃できないまま丸め込まれます。

保留の会見で報道陣から「パンチ君、ネクタイが曲がっているよ」と言われ、ネクタイを直したんです。そこ(ネクタイを直しているところ)を撮られ、次の日に「キビシーっ」という見出しで記事が掲載されました。

ちなみに球団からは、「新人で保留をするとスポーツ紙に悪く書かれるゾ」と半ば脅されましたが、こちらはビジネス。納得がいくまで交渉していいと思います。

当時は代理人制度が確立されていなかったため、契約更改に自信のない選手は奥さんが家計簿を持って同席。未成年の選手は、両親が選手と一緒に更改へ臨んだというエピソードがありました。

僕は5回の保留を経て、当初の希望通り1200万円でサイン。2年目は、さらに200万円アップで1400万円。その後は成績が振るわず、球団が提示した額で更改しました。

プロで活躍するにはやはり倍々でアップしていかないとダメですね。800万円→1600万円→3200万円となって、初めて一流のプロ野球選手になれる。そう考えると、一流プレーヤーは本当にごく一部の選手なんです。

野球が一番!

パンチ佐藤(ぱんち・さとう)プロフィール

1964年12月3日生まれ
亜細亜大学から熊谷組を経て、オリックスにドラフト1位で入団。プロ野球時代、トレードマークのパンチパーマと独特な発言で人気者に。引退後はタレントとしても活躍し、2015年シーズンからBCリーグ『武蔵ヒートベアーズ』の宣伝本部長に就任した。

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