人生に役立つ勝負師の作法 武豊
もっともっと上手い騎手を目指して


2015年――さぁ、未(ひつじ)年の始まりです。
騎手として初めての未年は、騎手になって5年目となる91年。武田作十郎厩舎所属の騎手として暮らす最後の一年でもありました。
前年、オグリキャップのラストランでピークに達した競馬ブームをいかにして持続させるか!? JRAも様々な試みをしています。
馬番連勝複式馬券、いわゆる"馬連"が全国的に発売されるようになったことで、それまであった単枠指定を廃止。自宅投票システム「PAT方式」が登場したのもこの年です。
ターフではトウカイテイオーが無敗のままダービーを制して二冠を達成し、牧場では、大種牡馬、サンデーサイレンスが社台スタリオンステーションで種牡馬生活をスタート。日本の競馬にとって大きな転換点となった年でもありました。

で、僕はと言うと――。国内でのGⅠ勝ちはひとつですが、そのひとつが、とてつもなく大きな勲章でした。新パートナー、メジロマックイーンが、祖父メジロアサマ、父メジロティターンに続く、史上初となる「天皇賞」父子3代制覇を成し遂げたときは、喜びよりも「プロの騎手としての責任を果たせた」という安堵感に包まれていました。
8月には、念願だった海外の重賞……アメリカ、サラトガ競馬場で行われたGⅢ「セネガH」をエルセニョールとともに制覇。歓喜の美酒に酔いつつ、「海外でもやっていける!」と視界が開けたことに、新たなる闘志を燃やしていました。

2度目の未年がやってきたのは03年です。
この年は、哀しい別れとくすぐったい出逢いで始まったような気がします。そうです。兄弟子、河内洋騎手の現役引退と、調教師、河内センセイの誕生です。
騎手になったばかりの頃は、どこに行くときも河内さんの背中を追いかけていました。騎乗技術から人との接し方、温かな心遣い……すべて、河内さんから教えていただいたものです。
調教師のセンセイと騎手という関係に変わりましたが、まだ、10分の1もお返しできていません。そのうち、まとめてお返ししますね、河内センセイ。

  1. 1
  2. 2