人の喜びを自分の幸せと思う『人間力』加山雄三(歌手・俳優etc)の画像
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「夢は、風力と太陽光、自然エネルギーだけで航行できる究極のエコシップの建造です」

『若大将EXPO 夢に向かっていま』の全国コンサートツアーを回っていますが、1回で45曲、リハーサルで20曲ほど歌うので体力的、精神的には結構きついですね。ただ、77歳になってもみなさんの前で歌える喜びでそれも吹っ飛びますよ。今度の7月25日、NHKホールでのラスト公演に向け、体力の続く限りは全力投球でいかなくちゃって思います。

14年は、頂いていいのかどうかわからないですが、旭日小綬章を授かり、陛下からもお言葉を頂戴し、本当にありがたいですね。13年からは、若いバンドに混じって一緒にロックをやったりで、14年は7つのライブに出てきました。3日間で100組ほど出演した『FUJI ROCK FESTIVAL』では人気投票で邦楽アーティストでトップだったんです。これも嬉しいことですよね。

学生の頃、エルヴィス・プレスリーを聴いてロックが好きになり、自分で作詞作曲したりして、バンドを組んでましたけど、卒業してからは、映画の世界に入って、いつ辞めようか、そればっかり考えてました。

好きでもない女の子とラブシーンやらなきゃとか、恥ずかしいじゃないですか。そういうのは2人っきりでやったほうがいいですよ。これは大変だなー、3年で俳優辞めようと思ったんです。でも、チャンスがドンドンなくなっていく(笑)。

『若大将』シリーズは始め、1本だけだと思ったら2本目、舞台は大学から銀座へ行っちゃった。銀座行って終わりかと思ったら、今度は『日本一の若大将』。これが最後かなと思ったら、次はハワイへ。全然止まらないんですよ。あれ、どうしちゃったんだろう。3年経っても俳優、辞められないや。あげくにロックもやらせてもらえない。

そんな時ですよ、映画のプロデューサーに「バンドやれ」って言われたんです。それで、作詞家の岩谷時子さんに訳詞を頼んで、できたのが『恋は紅いバラ』。それから『君といつまでも』とヒット曲が生まれるんです。人との出会いは大切だなと思いましたね。

岩谷さん作詞の曲で『追いつめられて』って歌があるんですが、その詞の通り、僕らは半年後に実際に追い詰められちゃうわけです。その頃、叔父の会社が倒産するかもしれない状態でして。それは、家族だけしか知らないし、その後、僕が結婚してアメリカで式を挙げて、聞いたこともないローンパインなんて町に新婚旅行することは、僕自身さえ知らないのに、それを予言していて。「追いつめられて、お前と2人、知らない街を歩いている」詞の通りでした。その時、岩谷さんがあれだけヒット曲を書けたのも、何か予知能力的な凄いものを持っていたからと、どうしても思っちゃいますよね。

岩谷さんに詞を書いてもらうようになってからは、自分では、ほとんど詞を書かなくなりました。お任せで、書いて頂いたのが149曲です。僕は、自分のことを歌手や作曲家とは思ったことはないんです。音楽は趣味だと思ってますし、演技は一度も学んでないんですから。俳優だとも思っていません。でも、僕の歌でみんなが楽しくなってくれたら、それでいい。人が喜ぶことを本気になってやろう。それが自分自身の幸せでもあると思うんですよね。

子どもの頃から海に魅せられ、今まで船を何隻も作りました。三浦雄一郎さんが80歳でエベレストを登頂したことに刺激されて、77歳になったいま、80歳までにどうしても成し遂げたい、「夢」を持つようになりました。それは、自分が作った船で「7つの海を制覇する」こと。

今回のコンサートツアーはそんな僕の決意を託したものです。船は、究極のエコシップ、つまり、化石燃料を一切使わず、自然エネルギーだけで航行できる船で海を制覇したいですね。そんな船で世界を回り、エネルギー問題や環境問題に直面している世界の人々に、環境問題に関する意識改革をしてもらえればいいなと考えています。

撮影/弦巻 勝

加山雄三 かやま・ゆうぞう

1937年4月11日、神奈川県生まれ。茅ヶ崎市育ち。母方の曽祖父は岩倉具視。父親は名優・上原謙というサラブレッド。慶応義塾大学法学部を卒業後、東宝へ入社。若大将シリーズで大ヒットを飛ばし、劇中で歌った曲『君といつまでも』などが大ヒットし、スターの座を掴む。シンガーソングライターの草分け的存在で、その後のミュージックシーンに多大な影響を与えた。サザンの桑田佳祐を始め、多くのミュージシャンから尊敬される。趣味は多彩。絵画や料理はプロ級。出演映画や作曲した歌はあまりにも多い。

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