ヤンキースからFAになった黒田博樹(39)が、古巣・広島に電撃復帰昨年末に飛び込んできたこのニュースは、球界関係者はもとより、スポーツマスコミ関係者も度肝を抜かれた。
「メジャーリーグを"お払い箱"になって、日本球界に復帰したわけじゃありませんからね。ヤンキースの先発ローテーションを担う現役バリバリのメジャーリーガーが、メジャー各球団の"黒田争奪戦"を尻目に、8年ぶりに日本球界へ復帰をする決断をしたことは衝撃ですよ」(スポーツ紙デスク)

実際、ヤンキースとの契約が切れ、FA権を手にしていた黒田には、大型補強を進めているパドレスが1800万ドル(約21億7000万円)の好条件を提示したと言われる。
「これはヤンキース時代の年俸に、2億5000万円以上も上積みした計算になる超大型契約。それをあっさり袖にして、広島と推定年俸4億円プラス出来高の条件で契約した黒田には驚くほかない」(前同)

ちなみに、その直前に、メッツからソフトバンクに移籍し、9年ぶりの日本球界復帰となった松坂大輔(34)の推定年俸は、4年総額16億円。
「高すぎると言われた松坂とは対照的に、メジャー7年間で79勝(79敗)を挙げている黒田の年俸は明らかに低すぎる。それでも彼は、金よりも"選手生活の最後は広島で"という自らの"漢気(おとこぎ)"を貫いたんです」(スポーツ紙ベテラン記者)

黒田本人が「日本球界に戻ってくるなら、広島しかない」と、かねてから公言していたのは周知の事実。それくらい、彼の"広島愛"は強いものがある。
「実は、黒田が広島で国内FA権を取得した年、巨人が獲得に動いたことがあるんです。当時のエースである上原浩治が"黒田さん、一緒にやりましょう"と冗談めかして言うと、黒田は"自分を育ててくれた広島を離れる気はない"と、キッパリ断っているんです」
と言うのは、前出のベテラン記者。

「黒田の父の一博さん(故人)は、南海などで活躍した元プロ野球選手。その父親は"東都大学リーグ(黒田は専修大)で一度も優勝したことがないおまえを、上位指名(1996年のドラフトで自由獲得枠2位)したうえ、育ててくれた広島に感謝せねば"というのが口癖だったそうです」(前同)

06年、13勝6敗の成績を残した黒田は、海外FA権を使ってメジャー挑戦の意思を固めた。だが、チーム事情を鑑み、渡米を1年遅らせたのも、この父の教えを肝に銘じていたからだ。

08年から4年間在籍したドジャース時代のことだ。
「ある年、"黒田が球団に違約金を払ってでも日本に帰りたがっている"という情報が入ってきたことがありました。早速、巨人が動いたんですが、黒田は"日本に帰るなら広島です"と明言。巨人が撤退したという経緯があるんです」(前同)

その後、ヤンキースに移ってからの黒田は単年契約を続けてきたが、これも日本復帰を見据え、フリーハンドを確保しておきたかったからだと言われる。

一方、広島もオフになると毎年、黒田に日本球界復帰を打診するのが"恒例行事"のようになっていた。
「一昨年オフも球団フロントは電話で黒田に年俸3億円を提示し、広島復帰を要請したといいます」(前出・デスク)

メジャー移籍後も、黒田と広島は"相思相愛"だったわけだ。黒田自身も、
「黒田博樹のピッチングができるうちに(日本に)帰ってきたい」
と公言。自宅も広島に残したままになっていた。

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